- 東京に行っても緊張しなくなった。感情が変わっていくのはいいことだと思う。同じことを違うように感じられるようになるというのは二度三度美味しいのと一緒。高校生が10年も前のことになったのは本当にいつもびっくりしてしまうけれど、10年経ったことは妥当だなとも思う。その間にかなりいろんなことが起こったし、自分も少しずつ変わってきたと思う。生きていればいいことあるよというのは個人差しかないけれど、私の場合はいいことがあった。今が一番いい。生きていていいことは、知識を増やせること、いろんな景色を見られること、感情が変わること、好きなものが増えること。特に好きなものが増えるのは最高。音楽も、本も、映画も、人も。

部屋番号の数字から謎の汁が出ていてかなり怖かった。
- ずっと忘れられなかった小説を買った。小1の頃、5つ上の姉に怖いから読んでほしいと読まされた児童向け小説。怖いから読んでというのはよくわからなかったけれど、当時は姉に従順だったのでとりあえず読んだ。内容はあまり覚えていなかったけれど、「怖かった」という印象だけがずっと残っていた。ふと思い出して探してみたら中古で買えたので、約20年ぶりに読んだら今でもやっぱり怖かった。恐怖の感情を復習をしたのは初めて。これはたぶん大事な経験になる。
- オリンピックに怒っていた。宣言と開催が重なったことが発表されたとき、国民が馬鹿にされていると感じたけれど、家で怒っているのは私だけだった。そういうものかと思った。そういうものなんだ。コロナは私を前よりずっと国民にしたと思う。今まであんまり影響を受けてこなかったのか、鈍感だったのかわからない。ただ、年金どうせもらえないんでしょとかいう以上に、国の決定によって明日の予定が変わるくらい身近になった。選挙に行きたくなくなるのめちゃくちゃわかるし、私も今回のことで行きたくなくなった。とか言いつつ絶対に行くけれど、行きたくなくなるのはわかる。「馬鹿にされている」「無視されている」と感じた時点で、諦めたくもなる。行きたくなくなるのわかるな〜と言ったら家で猛批判くらった。そういうものなんだ。

- リモートでしか会ったことない人と会った。初めて対面すると、やっぱり第一声は「はじめまして」になっちゃって、そのあとは自己紹介していた。いつも普通に顔を見てるから、マスクをちょっとずらさないと認識できない感じとか、たぶん今しか味わえない。あとは、歩き方の癖、目の合うタイミング、話しているときの手の動きとか、そういうのを見ながら人の厚みってこういうところにもあるんだよなと思ったりした。話している内容だけが人ではない。
- 詩の教室に行った。詩人が講師をしている教室で、受講者もレベルが高そうだった。同人にも入ってなければ賞もとってないような身で行くようなところではなかったのかもしれないけれど、講師が話す言葉は全部わかったから、たぶん行ってもいいんだと思う。というか、その身だから学ぶべきなんだよな。詩ってこうあるべきなんじゃないかな、こういうのも詩だとしたら面白いんじゃないかな、と思っていたことすべて肯定してもらえて本当に嬉しかった。詩のこと真剣に考えてていいんだと思った。嫌いとか言いながら詩のこと考えるの大好きじゃん…と思った。嫌よ嫌よも好きのうちとは言うけれど。昔の言葉は本当にすごいな。

痛いのに音が好きで時々履いてしまう。
- 朝ごはんが食べられなかった。しばらくの間、胸と喉に鉄球が押し込まれているような感覚が続いていて、何も取り入れられない状態だった。朝ごはんは入らないし、音楽も小説も無理だけど、詩なら入ると思った。というか、今は詩しか入らないと思った。鮎川信夫を読んだ。少し体が動くようになって、また別の詩を読んだ。その日はなんとなく昨日よりはましになって、夜ご飯も少し食べた。ちょっとずつ元気になってきて、今はすっかり良くなった。詩に助けられるなんて癪だけど、いつの間にか詩は私にとって、そういうものになっていた。そのあと小さな詩を書いて、また少しだけ救われた。
- 友人に誘われて琵琶湖に行った。スパイス屋さんでスパイスを買って、はじめてイチからカレーをつくって、平たい石を探して水切りをして、夏のことを褒めまくって、夕暮れ前に銭湯に行った。とても楽しかった。自分が楽しめることも、一緒に楽しんでくれることも嬉しかった。そういえば、陽を浴びながら少し日焼けを気にするようになっていた。少しは大人っぽくなったと思う。

- 明日は引っ越し。引っ越し、新しい街、上京という響きは最高。ただ、この数ヶ月で思い出がまた増えて、場所からも人からも離れるのが寂しくて仕方ない。でも、引っ越すことで会えるようになる人もいるし、地元にもまた帰ってくればいいし、自分の居場所が増えるのはとても素敵なことに思える。どこにいても遊ぼうと言ってくれる人の存在がありがたいし、私も積極的に遊ぼうと声をかけたい。すぐ戻ってきたとしてもそれはそれでいいってことにしよう。

綺麗なだけの琵琶湖でも見てください。
カレーをつくってみてわかったのは、入れるものを入れて煮込めばそれなりにはなるということ。カレーは日本の鍋料理くらい調理人を許してくれる懐が深い料理だということ。もはや食べるガンジス河。何言ってるのかわからくなってきたので、終わりにします。
おわり。