宇多田ヒカルは最強

こんにちは。

なんだか知らない間に年が明けて、なんだか知らない間に1月も後半になっていました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。宇多田ヒカルの新しいアルバム聴いてますが、やっぱいいですね。今、至極あたりまえのことを言っています。

今回は人が死んだ話を書くので、苦手な方はお読みにならない方がいいと思います。

 

 

 

 

 

  • おばあちゃんが亡くなった

年明け、おばあちゃんが亡くなりました。数えで96になる年でした。老衰は一番苦しまないと聞きましたが、最後に会ったときはごはんも水もとれない状態で、もちろん話せない。息をするのも苦しそうに見えました。本当のところは苦しかったのかなんてわからないけれど。

高校生の頃におじいちゃんが亡くなって、そのときは遺体が別人に見えて怖くて仕方なくて触れることができなかったのですが、おばあちゃんには触れられました。この年になって、死んだ人の体の冷たさというのを初めて知って、とてもびっくりしました。血ってそんなにあったかいんだ、生きてるって本当にどうにもできないくらいすごいことをやってるんだと思いました。死んだ後ってそこにいるのにいないみたいに感じちゃうから、魂の存在を考えちゃうのもわかるなあ。寝てるみたい、とはいうけれど、寝てるのとは絶対的にちがって見える。

棺におじいちゃんを入れるとき。
葬儀屋さんがすんごーく手際よく準備をしてくれた。
というか、手際よく仕事してた。
 
人が死ぬと途端にモノになるあの感じ、私はすごく苦手だ。
みんなよく準備を眺めてられるなあと思う。
あれ、無理だ。
 
骨をつつくのはもっと無理だ。
明日は、というか今日はお葬式だから、それがある。
おじいちゃんが人から死体になって、モノになって、ただの骨と灰になる。
 
今日、おじいちゃんの遺体を少しだけ見た。
粘土みたいな作り物みたいに見えた。
この窪んだ目が動いて私を見ていたんだ。
この口が私に話しかけていたんだ。
この頭に入っている脳ミソが、88年間動いていたんだ。
信じられなかった。
人の死なんて、そんなもんだ。
 
おじいちゃんの兄弟がじーっと葬儀屋さんが準備するのを見ていた。
歳が近い。
自分の死を想像しているのではと思った。
死を肌で感じ、それなりの覚悟をしているのだと思う。
今、どんな気分ですか?素直に質問してみたかった。
寿命で死ぬ、時の経過によって死を覚悟させられる。
そんなのは今の私には到底理解できない気持ちなのだけれど。
 
今日は通夜だった。
長いお経と、意味を知らない焼香。
自分が死ぬときは通夜も葬式もしてほしくないなとやっぱり思った。
弔うにはあまりに長い儀式だ。
それに、体系的すぎる。本当の弔いにはならない。
死んだからとりあえずお寺に連絡して、葬儀屋に連絡して、黒い服をきて、長いお経を睡魔に耐えながら乗り切るなんて、弔いになるものか。
集まってもらって、適当に話をしたらさっさと焼いて散骨してほしい。
お経も要らない。
というか宗教は要らない。私には特に要らない。
墓はつくりたいならつくってくれればいいなと思う。
思い出すための場所が必要なら。
お経を聞きながらそんなことを考えている間に、通夜は終わっていた。
こんな参列者がいるんだ。
やっぱり弔いになんかならない。
 
人は死ぬ、いつか絶対死ぬ。
いつか絶対に動かなくなる。
粘土でできた作り物の人形みたいになるんだ。
私が死んだら適当にやってほしい。
無理しないでほしい。
死人のためにそんなに頑張らないでほしい。
 
 
あの世なんてないと思っている。
 
おじいちゃんの心臓は、ただ、止まっただけだ。

これは高校生の頃に書いていたブログの引用。今読むと考え方が変わった部分もあるけど、否定はしたくないし、似たことを思う人がいたらわかるよって言いたい。

おばあちゃんやおじいちゃんが亡くなって、今までは悲しいよりも、遺体が怖いとか葬式なんて無意味だとかしか思えなかったのですが、今回初めて悲しいと思いました。悲しいというか寂しい。もう会えないんだ、もう話せないんだ、っていうのはこういうことなんだと思いました。おばあちゃんのつくる里芋の煮っ転がし、好きだったなあ。人の死を悲しむようになった、それは思い出すことが多いからであって、生きてきた時間が長くなった証なんだろうな。96歳、すごいな。私はいつまで生きていられるだろう。

  • スランプ

年末からなんとなくスランプで、詩は書けないし、本も読めない、映画も見られない、落ち込んでるわけじゃないけど何もやる気のない状態が続いていました。前回のブログはかろうじて更新できたけど、あれも事前に書いてたやつだったし…。やる気は自然に出るものではなくどうにかして出すものであることはわかってたけど、何もやりたくなくて、何もやれない、何もやらない自分を嫌いになっていく日々を送っていました。それが、素敵な映画を見せてもらう機会があって、なんとか自分を鼓舞することができました。自分だけだったら今回のスランプはすごく時間がかかりそうだった。

やる気は待ってても出ない。時間薬だけじゃどうにもならない。でも、自分からやる気を出そうと取り掛かるのはとても難しい。だからやる気が出ない状態は長引いてしまう。だけど、自分のことをどんどん嫌になってしまうから、どうにかしなくちゃいけない。今回は3週間で済んで本当によかった(数ヶ月かかることも多いので)。いつでもやる気ばりばりで何かをつくりまくっているわけではないです、本当に。笑

  • 年相応は幻想

今年27歳になるのですが、27ってもっと大人だと思っていました。…って毎年言ってるし、みんな同じこと言ってる気がする。今年60になる親でさえまだハタチとか言ってるし。ってことは、誰も年相応じゃないってことにならないかな。実は年相応な振る舞いとかどこにもなくて、私含めみんなが言う年相応は幻想でしかないのかもしれない。裏を返せば「この年になったのに〜」って思ってる状態が年相応なのかもしれない。

えー、もう20代あと3年しかないんだけど…と思ったのですが、まだ3年もあるんですよねえ。というか人生まだめっちゃあるんですよねえ。1年でけっこういろんなことできたなーと思ってるけど、これを何回も過ごせると思うとワクワクしますね。今のテンションだとワクワクなのですが、これがあと何年やらせる気だよ…ってなることもやっぱりあって、人生へのテンションを維持できるようになることも目標ですね。そんなことできるようになるのいつになるんだか…という感じですが。

宇多田ヒカルはいいですね。好きなものに触れるたび、生きててよかったと思ってます。真面目になっちゃった。まあたまにはいいでしょう。冗談なしも、わるくない。

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