カンジュセイテスト

まどみちおの詩集と、谷川俊太郎の詩集を一冊ずつもってきています。

さっきまどみちおの方をぱらぱら見ていたのですが、なんだかお前の心なんてゴミだと言われている気がして閉じました。笑

詩を読むというのは本当に体力を使うことで、何か感じないと殺される気持ちになる。美術館に行くときや、映画を観る時も同じ。何も感じられなかったら、どうしよう。何も感じられなかったら、私の心は失格なんじゃないだろうか。いつもそんなことを考えてしまいます。

わかったような顔をして芸術に触れたくない。わからないものはわからないと言いたい。だけど、本当にわからなかったらどうしよう。別に誰も期待してないのに、自分に対して「感じているフリ」をしているときがあるような気がします。

この間、トロントのオンタリオ美術館に行ってきました。

学校のクラスメイトに、水曜日の18時以降は無料で常設展を見ることができると教えてもらったからです。びっくりするほど広かったので、全部を見ることはできなかったけれど、かなり楽しかったです。腰パンのヤンキーっぽい兄ちゃんグループとか、ランニングついでっぽい人とか、いろんな人がいっぱいいて、みんな好きなように話してたのにはびっくりした。美術館で笑い声が聞こえるってのもなかなかない気がする。笑

それから、オリジナルのモネの絵を見られて超感動した。別にモネの絵が特に好きだとか今まではあんまり思ったことがなかったのですが、あれはまた見たい。

英語のキャプションがついているために、わからない単語もちらほら。疲れてくると読めないし、そうなってくると、もう絵だけを見るしかない。ぼーっと見ててもわからない。こうかなあ、こういうことが言いたいのかなあ、とか思いながら。どういう風に見ればいいのかわからずに、相当苦労しました。タイトルやキャプションという言葉の補完があるからこそ、初めて伝わることがあるなあと思いました。感じ方の方向性を教えてくれる誘導灯のような。意味を考えないといけないものは特に。

そういえば、初めて実験映画を見た1回生のときに、これは見てられない!無理だ!と思った覚えがあります。というのも、何が言いたいのかわからないのに感じることを強要されている気になってしまったからです。強い何か訴えかけてくるようなものがあるような気がするけれども、それがなんなのか全くわからず、ストレスすぎて見るに耐えませんでした。

だけど、4回生になってとった授業で、実験映像は「新しい手法を試すための映像」だから、その写ったもの自体に意味があるわけではないということを学びました。見た目が奇抜なものが多いから、内容に意味があるような気になってしまうだけ。つくられたことに意味があって、発表されたことに意味がある。作者自身に意味があって、その分野の成長のために意味がある。それは映画史の授業だったけれど、ほかの美術史を学ぶ中でも、それが一番衝撃的なことでした。当たり前なんだろうけど。

そういうもののほうが本当は多いかもしれないのに、なぜかそこに内包されていそうな意味を読み取ろうと思ってしまう。見方を間違うとしんどくなる芸術もあるんじゃないか…?

見方をわかりやすく示せばもっと楽に楽しめるようになるのかもしれないなあ、なんて思ったりして。わかるからこそ楽しいものもある。だからわかんないならもっと単純な感想で、綺麗、とか、怖い、とかだけでいいはずなんだよなあ。

次の日、教えてもらったクラスメイトに美術館に行った話をしました。モネの絵がやばかった!本当に綺麗だった!と言ったら、「やばかったよね!わかる!感動した!モネいいよねえ〜」と言っていました。私の英語力がないのもあって、綺麗だったとしか言えないというのもあるけれど、そこで見たモネは本当に綺麗としか言えなかったんだよなあ。あと、英語で好きなものを共有できたの、めちゃくちゃに嬉しかった。大したことは言えてないけど、カナダに来てよかった〜!って思った瞬間でした。笑

試されてるわけでもないんだから、なんかいいよね〜くらいで、まどみちお読みたいなあ。笑

トロントにも桜はある

流浪の民

ここ最近、部屋を探していました。

こっちには仲介業者が存在しないため、家をもつ人と個人契約をしないといけません。ウェブで知り合った人に連絡をとったけれど、思ってた部屋とはちがったため辞退。普通、断ったら返事がこない、とかが多い。メールも素っ気なくて、単語でしか会話してこなかったりとか。留学生かよ。

ただ、その人はめちゃ丁寧だったので、「あなたみたいな人が大家さんだったら安心して暮らせたのに」と添えてメールすると、僕の友達の部屋だけど!と情報を大量にくれた。びびった、けど、見学に行った結果、かなりよかったので友達の部屋を契約。褒めたけど、べつに下心はなかったつもり…笑

お金は後日に、ということでメールで日時を指定して、契約金を払いに行った。すると、「え、契約するの…?メール見てなかった。もう新しい人いれちゃったよ」と言われる。なんでやねん!!!!!

結局いろいろあって別の部屋を探すことに。めちゃおもろいけど、部屋見つけるの争奪戦でかなり苦労するので、その夜は普通に泣いた。笑

しかも今住んでる人引っ越させるからって言われて契約金一旦払ったし、結局引っ越し無理だったし、お金返してもらう約束で14時から14時半に来てって言われたのに14時すぎに行ってもいない。着くの14時半すぎるってなんでだよ!!!

で、結局新しい部屋を見つけました。優しすぎてこわいくらい優しい40歳くらいの男性の大家さんです。

見学の日取りを決めているときに、メールめんどくさくなったのか電話が急にかかってきてびびる。夜中の12時に飲んでる先からかけてくる。びびる。しかも見学に行くのに車で迎えに行こうかとか言われて、これは時々聞くやばいタイプの人…トラブルになったらどうしよう…という気持ちだったのですが、ただのいい人だった。ほんとにめっちゃ気さくなだけだった。笑

帰りも送って行こうかと聞かれたけれど、断った…でもいい人には違いない。鍵借りたときにお互いのゲンコツ付き合わせて”Boon! Have a nice day! yeah!” って言われました。本当にやるんだあ🤜🤛

窓がでかくて気に入っている

30歳のブラジル人女性とご飯に行きました。

私の一週間後にホームステイに越してきた人。晩御飯をほぼ共にして毎回1時間くらい話してたのでそれなりに仲良くなりました。新しい部屋の見学に行ったあと帰ってきたら引っ越してた。はやい。

で、その友達にごはんに行こうと誘われました。約束は13時。やばい、絶対遅刻だ〜とおもったけど、友達が来たのは13:45でした。やばい。なんでだよ!!で、予約してるというので店に行くと席は全部で12???いや多くね??っておもってると友達の後ろに別の女の子がいた。かわいい。ブラジル人だった。席が全部埋まったのは15時。13時じゃねえのかよ。しかも全員ブラジル人だった。たぶんもう人生でブラジル人11人とごはん食べるなんてことはない。

以下ブラジル人たちと話したこと

・クリームチーズとパッションフルーツにグアバのペーストを塗ったお寿司が普通らしい。おいしいらしい。まじか。

・日本人は毎日寿司食べるの?と聞かれる。学校の横に寿司レストランがあったからよく行ってたよ、と言うとやっぱりー!って喜んでた。毎日って言えばよかったかな。

・ポルトガル語のfuckyouを教えられた。教えられたまま言うとめっちゃウケてた。外国人があんまり意味わからないで使う言葉っておもろいよな。日本語でなんて言うの?!って言われたので「クソ野郎」を教えておきました。よかったのかな。

・17歳やろと言われる。23歳だよと言うと爆笑される。初めて「カモーン!」と言った。今のところ、日本、韓国、サウジ、ブラジル、台湾、メキシコ、フィリピンに年齢を明かすと笑われてる。誰も20歳以上だと言ってくれない。店の人に高校生か?って聞かれるのも当たり前だし、もう自己紹介のいいネタ。童顔でよかった。

そういえば、ホームステイでカビたケーキと悪くなった麺料理を晩御飯に出されたので、本当はあと1週間ありますが、明日出ると告げました。笑なにも悪いことしてないつもりなんですが、京都で言うぶぶ漬け出されるというやつ…???笑笑

え!腐ってた?カビ生えてた?ごめんね…って言われたのですが、2つ料理出されて2つともアウトとかあるのかよ!こいつのご飯とかこんなんでいいやろと思われてるように感じてしまって、駅でサンドイッチ食べながら、なんかめちゃくちゃ悲しくて泣きました。笑出る理由はこれだけじゃないけど、決定打としては最高!!!笑笑

1ヶ月にしてかなりおもろい笑あと、今まで特に嫌いな食べものはなかったのですが、オートミールはまじでだめでした。食べ方にもよるのかもしれませんが、食べたことない人は一生食べなくていいと思います。

卒業してはみたけれど

直接聞いたり、Twitterとかインスタとかで見たりして、ほんとにみんな社会人なんだ なーって思ってます。学校でアホな話をして遊んでくれていた友人たちが、会社に行って働いてるってすごい変な感じだ。

あと何日かすれば23歳になっちゃうこともあって、なんだかよくわからないけど焦ってます。こういうことになるのはわかっていたことだけど、肩書きがなくなったり、やるべきことが誰にも示されないというのは案外不安定でした。笑 何者にもなれる道を選んだつもりでいるけれど、今は何者でもないから、自己紹介するのはめちゃくちゃ難しいな。笑

この間、TOEFLを受けたのですが、びっくりするほどさっぱり分からなかった…。読んで目から入ってくる英語も、聞いて耳から入ってくる英語も、ぜんぶの単語が脳みその上を滑って行く感じ。かすりもしないで、滑ってどこかへ行ってしまった。まったくわからないから、こんなんじゃ向こう行ったときにやばいぞという不安がどんどん増大していった。不安が滑剤になって余計に言葉が滑っていきました。あと、クーラー直風でめちゃくちゃ寒かったです。烏丸のテストセンター行く人は気をつけてください。笑

乗り継ぎ3回、30時間の旅が終わって、やっとトロントに着きました。ホノルルとソルトレイクシティを経由したのですが、どっちも楽しかったです。空港。笑

4月でも−2度のトロント。

私の力量で人生が変わるなんて、そんなことなかなかない。就活を全くしてない(インターンくらいすればよかったとは思ってる)のもあって、自分の舵取り、というか自分の読んだ風向きで人生が変わる経験というのはまだしたことがありません。親とか友人とか先生とか、監督者がいないとソッコーで怠けることもあって、そういう自分と決別する必要もあります。頑張らないと。気を引き締めて。英語が話せなくて仕事が見つからなくてお金が足りなくなって帰国…なんてそんなダサいことは死んでも嫌なので、とりあえず必死で生きてみようと思います。

で、こんなことあんまりしたことないですが、今日は最近書いた言葉を貼っつけておきます。

http://setsuco04.tumblr.com/post/172680012459/

そして、やっぱりこれをもって生きたいと思うので、今年はもっと押し出していきます。何者か決定するためにも。言葉を抱えて生きたい。やっぱり言葉が好きだから、詩と呼ばれようが呼ばれまいが、詩だろうがそうじゃなかろうが、とにかく言葉で生きたいんだから、もうその辺はどうだっていいです、笑よかったら見てみてください。ほとんど読んだことないけど、そのうち英詩も。

そういえば、移民局の局員さんに誕生日祝われました。笑

卒展終了の巻

卒展が終わりました。

卒業制作としてつくったのは『するりんわーどしゃわー』という作品でした。シャワー型の映像インスタレーションです。

シャワールームを模したブースの中で、実際に言葉をシャワーとして浴びる体験ができます。シャワーから流れてくる言葉は「するりんわーど」。これは、「かわいいね」「ありがとう」「好きだよ」…お世辞だと感じてしまったり、本当に思ってるのかなと疑ってしまったり、いろいろな理由で受け取れない言葉のことを指します。造語です。

普段受け取られなかった言葉はシャワーの水のように流れてしまっている。だけど、受け流さなければ自分の糧になる言葉かもしれない…と少しでも思ってもらえないかな、なんて。

今までの作品は、自分には分からないと言われたり、共感できないと言われたり。作品の外っつらばかりを褒められたり。なかなか中身のところまで突っ込んでもらえないのが悩みでした。鑑賞者が置いていかれてしまうような独りよがりな作品になってしまっていたからです。

だからこそ、今回は「見てもらうなら見てもらうための作品をつくる」ということを私の中での作品づくりの指針にしていました。この作品、本当は別のテーマで作り始めました。だけど、人のための作品にするため、かなり普遍的なこと(普段受け取れない言葉を見つめ直す)をテーマに変更しました。おかげで怖いくらい共感してもらいましたが、怖いくらい反論がありませんでした。

共感は狙ってやったことなので、狙い通りにいったことは成功です。ただ、自分の込めた意味がなんの滞りもなく、なんの隔たりもなく受け入れられることに違和感が半端なくありました。この作品は、特に私の込めた意味より他のことを読み取ることはできないし、ひとつひとつメタファーを読み取っていくと答えはそれだけです。自分の出した意見に対して、「わかる」「そうだね」ばっかり言われていると、なんだか自分が王様にでもなったような気分になってしまいました。跳ね返りがない。私がこの作品を放った意味がないような気がして。

私はずっと「無題」という題がついた作品全般が苦手でした。とりあえず「無題」と名付けて、あとの解釈は観客に委ねようという姿勢が気に食わなかったからです。無題とつければ格好がついてしまう。そんなの何をつくってもクールなアートになってしまう。例えなんの意味がなくとも、観客が必死に解釈を満載させて、観客が意味付けをしていくアートが出来上がってしまう。それは作者としての責任がとれていないような気がして。

だけど、今回の経験を経て、観客が意味付けできない作品はまったく力がないのではないかと思うようになりました。共感はしてもらえたけれど、わかるー!そうだよねー!からは何も生まれないので。いつも考えないようなことを考えたくなるようなものこそ、作るべきなんじゃないか??作品自体のもつメッセージを語りすぎると、鑑賞者はそれ以上自由に考えることができない。それならば、「無題」という題で意味を語りすぎることを防ぐ方法もあるかもしれません。

あと、これは卒展の話ですが、前まで同じサークルだった友人たちの作品が超よかった。アイデアが素敵で、偉い人にも評価されてて、子供にもウケてて、ただひたすら超絶まじばちくそに悔しかったです。実際ぜんぶ好きだったので、見に来てくれた身内に勧めまくってました。悔しすぎて自分の作品破壊したかったです。

それから、他に、自分のやりたい表現と見る人にテーマをすり合わせつつ見せることを両立していた作品がありました。勝つとか負けるとかそういう次元にも並べず、悔しいとかいう気持ちにもなれず。悔しいって思えないレベル。それが悔しい。作品全体を通して作品へのまっすぐさ、真剣さが溢れていて、私の作り方の甘さ、ぬるさを思い知らされました。見ていてしんどかった。

人に見せるためとか言いながら中途半端な作品をつくってしまった。そして、中途半端にしてしまい、作品に申し訳ない。

愛せる形にどんどんアップデートしていきたいです。卒展は始まりでしかない。

今年は卒業後、社会的な肩書きで言うと無職になる予定です。笑 トロントに1年弱、ワーキングホリデービザで住みます。先のことはまったく決まっていませんが、飛行機はとってしまったので、とりあえず4月13日に日本を発ちます。学校も終わって、友人も家族もいない場所で、自分で切り開く力をつけに。あとは、英語を作品に使いたいという理由です。

卒展でどちゃどちゃに悔しがって夜に目を腫らすくらい泣いたのは私くらいかなと思うので、悔しいと思えたことを誇りに頑張ります。笑

動画は卒展アップデート前のものですが、よければご覧ください。