社会人初心者のみなさんへ

こんにちは。おでんにハマって週6日くらいおでんを食べ続けている者です。みなさんお元気でしょうか。

この記事はGMOペパボディレクターAdvent Calendarに寄せて書いています。(去年の記事

さて、私は今年2022年7月にCS(カスタマーサービス)から職種を変更して、現在ディレクターとして働いています。ペパボでいうディレクターとは、営業や企画、マーケティングなど幅広い仕事を行う職種を指します。一般的に言う「総合職」に近いかもしれません。

で、ディレクターとして働くことになったときにいくつか心がけていたことがあるので、それらを書いてみようと思います。その職種に特化したスキルがない状態で働いていくにはどうしたらいいのか。社会人になってすぐの人などに、少しでもふうんと思ってもらえるような記事になるといいなと思います。マインド的な話が中心になります。

積読が気になるおでんの写真

振られた仕事は断らない

いきなりでかい話ですが、一番大事にしていたことです。もちろん自分のタスク状況を見て、やらないという選択をすることが大事なときもあります。ただ、仕事を始めてすぐ(キャリアチェンジしてすぐ)の頃、自分がどんな人か知られていないあいだは「信頼積み立て期」だと思うので、振られたらどんな仕事でもできるだけ受けるほうがいいと思います。とにかく「あの人に頼めばなんとかしてもらえそう」という印象をつけることがその後につながると思います。

やたらと綺麗に撮れた詩集。
これはめちゃいいです、オススメ

締め切りを絶対に守る

締め切りは絶対に守るようにしました。これは締め切りを延ばさないという意味でもあります。どうしたかと言うと簡単で、締め切りを決めるときに理想のギリギリラインより余裕をもって設定するようにしただけです。仕事は早くできればできるだけいいに決まってるのですが、頑張ればできるギリギリラインに設定すると、予期しない体調不良や急な用事、差し込みの案件などでスケジュールが崩れてしまうことがあります。そうするともう締め切りを守れなくなってしまい、「あの人は締め切りを守れない(スケジュールが組めない人)」という認識をされてしまいます。早まる分にはまったく問題ないので、締め切りより早くこなせるときには早く終わらせればいいです。締め切り前にできるとそれはそれで信頼されやすくなるかもしれないからです。要は、これも「信頼積み立て」の一環です。とはいえギリギリラインで頑張らないといけないときもあるので、そのときはそのときなのですが…。笑

8月に撮った送り火。写真下手すぎてビビる

知らないことは素直に知らないと認める

知らないことは恥ではなく、知らないことを放っておくことが恥だと誰かが言っていた気がします。誰かが。ディレクターになる前は、稟議も契約書も何にも知りませんでした。(契約書をまくという表現も知らなかった。)ビジネスがどういう風に進むのか全くわからず、そのまま打ち合わせに参加するのが嫌だったので、上長にいろいろ聞いたりしました。本当に初歩的な質問でしたが、丁寧に教えてもらいました。知らないことはすぐ調べる。調べてもわからなければ質問する。質問することは無知を晒すことになるので抵抗がある人もいるかもしれませんが、無知を晒すことは悪いことでも恥ずかしいことでもない!と思います!!!

あ、あと、知ったことをまとめるnotionをつくっていました。中身見られるとどれだけ私が物を知らないかが露呈してしまうのですが、誰もが知ってそうでも自分が知らないことは知らないのだと素直に認めて、素直にメモするのがいいと思います。自分に対して知ったかぶりするのが一番よくないです。たぶん。

頭で覚えておかなきゃいけないことを減らす

新しい仕事を始めるというだけで頭の中がいっぱいになるので、できるだけ脳みその負担を減らす必要があります。思い出すことってけっこう大変だし、時間もかかります。ということで、ここで言いたいのは、メモをとること、タスクを書き出すことです。メモは…まあとりましょう。笑 今更言うことは何もありません。自分の脳みそを過信しすぎないでください。タスク管理は大袈裟なタスク管理ツールを使わなくても大丈夫です。チャートにしなくても大丈夫です。私はその日やらなきゃいけないことをSlackにばーっと書いて、終わったら「済」のスタンプを押してるだけです。手帳に書くのが楽な人はそれでいいと思います。タスク管理がタスクになってしまっては、またそれも頭で覚えておかなきゃいけなくなるので、一番自分にとって楽な方法がいいと思います。

はい、やったことはほとんどこれで以上です。特別なことは何もないのですが、新しい仕事を始めたときは、これらを心がければなんとかなるんじゃないかと思っています。

詩のコンクールに出したときの略歴

あと、私は新卒2年目ですがすでに27歳だったりして、社会人としてちょっと遅れています。遅れてるのは院に行ったりしたからではなく、ワーホリしたりフリーターしたりしてたからです。それから、ディレクターに職種を変更したことで、またキャリアを積むのが遅れてしまったなとか思ったりして、最近までちょっと気にしていました。が、この「遅れ」があって今があるのは確実なので、ゆっくり自分のペースでやっていこうと今は思っています。たぶん「遅れ」が無かったらペパボに採ってもらうこともなかった。

キャリアチェンジしたみなさん、新しく仕事を始めるみなさん、気負わず、周りと比べず、のんびり頑張っていきましょう。特別なスキルがなくても、ちょっとの心がけで仕事はある程度できるものだと信じています…。

1本くらい買ってもいいかもって思っちゃったよね

なんだか真面目に書きました。今日の夜もおでんです。それでは。

詩が意味不明すぎて大嫌いだった話

こんにちは。また詩の話です。詩のことばっかり書いてたら、最近めっきりサイト訪問数が減ってしまいました。別にいいけどね、別に…。

今「詩が」「詩が」ってうるさいですが、もともと私は詩が大嫌いだし超苦手でした。詩を嫌いだった理由を100個くらい挙げるなら、

  • 意味がわからないから
  • 意味がわからないから
  • 意味がわからないから
  • 何を楽しめばいいのかわからないから
  • 意味がわからないから

etc…

ざっと挙げるとこんな感じでした。詩って言葉なのに意味不明なことが多いんですよね。物語とかが書かれてるわけでもないし、まじで作者だけがわかる言葉で楽しんで、自慰してるだけじゃん…キモ😩ってよく思ってました。とか、なんか無責任な感じも嫌でした。意味わかんないのに意味ありげに佇んでるのもキモいなと思ってました。「意味わかんないでしょ?でも何かを感じてください」みたいな。感じてくださいじゃねえよ!!意味わからせようとしてないくせに無責任だろ!とよくキレていました。その頃は同じような理由で現代美術も嫌いでした。詩人もアーティストもみんなキモいと思ってました。それが去年の春先くらいまで続いていました。

そんなときでも私は詩を書いていました。自分がキモいと思っている詩を自動的に生み出してしまうことが嫌で嫌でしょうがない。でも書くものが詩って呼ばれてしまうからには詩を勉強しなくちゃいけない。そんな思いで嫌々詩を読む日々でしたが、意味がわからないといけないということが幻想だということに気づいた経験がありました。

「なんでもおまんこ」との出会い

みんな一度は読んだことがあるであろう谷川俊太郎。そんな谷川俊太郎の『夜のミッキー・マウス』という詩集を読んだときにめちゃくちゃ面白い詩に出会いました。「なんでもおまんこ」っていう詩なんですけど。全文はここに載っています。

衝撃でした。タイトルからして衝撃なんですけど、正直「生きる」とか「朝のリレー」とかの要するに「なんか綺麗で優等生」な詩とは全然違う。意味はわかんないけど、意味とかどうでもよくなっちゃうくらい言葉が面白いと思ったんです。そうなんです、意味なんてわからなくてよかったんです…。「なんかよくわからんけどおもろい」が詩に対する態度としてアリなんだと思いました。余談ですが、締めの一言がやばい。これはゾクっとしますよ、ぜひ読んでみてください…。

最果タヒ展との出会い

詩を体感した出来事でした。最果タヒという詩人がいるんですが、その詩人が自身の詩をオブジェにしたり、鏡に載せたりしていろんな方法で展示している展示会をやっていました。

その中で、詩の断片が天井からたくさん吊り下げられているスペースがありました。鑑賞者は中を歩き回るんですが、みんな写真を撮ったり、「この言葉いいね!」って言ったり、どういうところが好きだとか話し合ったりして思い思いに楽しんでたんですね。そのとき思ったのが、詩篇が鑑賞者と出会って生まれる感情こそが詩なんだなということでした。この空間そのもののように詩の中に鑑賞者が入り込む。わからないものを押し付ける無責任とかじゃなくて、まだ完成してなかったんですね。詩は詩だけでは成り立たなくて、鑑賞者がいて初めて詩は生まれるということです。他のアートもそうなのかもしれませんが。

そんなこんなで詩に向き合うようになって、よりいろんな詩を読むようになりました。

意味なんかどうでもいい

詩は意味わからない分、わからなさすぎて変な脳が鍛えられて読めば読むほど癖になります。クセのあるラム肉みたいな感じかもしれない。世の中にはいろんな音楽・映画・小説があるように、いろんな詩があります。読んで「わかんないなー」という詩は好きじゃない、でいいと思います。さっきの谷川俊太郎の詩も、おもんないって思ったならそれで大丈夫です。そういう詩は好みじゃないっていうだけなので。詩も一篇全部読み切れなくても、一行なんとなく気になるところがあればそれでOK。物語性があんまりないので好きなとこパラパラ〜っと見て、読めそうだったら読めばいいんです。それでええんです。って土井先生も言ってました。

私は無理矢理でしたが、詩を読んで初めて詩に対するアレルギーがマシになりました。それは、いろんな詩を読んで、いろんな感じ方を自分の中で良しとできるようになったことと、これも詩でええんか!という詩にたくさん出会ったことが理由としてあります。みなさんも、あまり構えず、もともと意味不明なものなんだと思って詩を楽しんでくれたらなと思います。

絵画は絵の具で描きますが、詩は言葉で描く絵画のようなものなのだと思います。絵の具、つまり言葉そのもの、意味そのものは重要でなくて、全体をどう捉えるか。絵筆のタッチを見るように、言葉がどう使われているかを見たりとか。ね。

私の好きな詩人に吉増剛造という人がいますが、今詩集をめくったところに「グラマーな地下鉄の通過」とありました。これもまじで意味不明ですがなんかよくわからんけどかっこいいと思います。

では。

詩の入門書紹介

こんにちは。ずいぶん寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

今日はなんとなく有益ブログを目指して、詩の入門書について書いていきたいと思います。みなさん、詩って普段から読みますか?学校で習ったきり離れてしまった方も多くいるのではないでしょうか。詩はわからないけどなんとなく気になる人や、何を楽しんでいいかわからない人向けに、私が読んできた、詩について少しでも知れる本を紹介していきます。


1. 現代詩の鑑賞

詩の読解力をつけたい人・いろんな詩を読みたい人へ

一番オススメ。詩人の大岡信が具体的な詩を取り上げながら自身の解説を付した本です。この詩の「何がすごいのか」「どこがどう美しいのか」などを紹介してくれるので、詩の読解力がつく本と言えます。詩人ごとに1〜3篇がまとまっているので、詩を読んでみたいけど、何から読めばいいかわからない方にもいいと思います。好みの詩人を探す字引きのようにも使えます。注意すべきは、大岡信の読解が正しいと思い込まないこと。自分がいいと思った箇所が批判されていたり、逆に良くないと思った箇所が美しいとされていたりしても「ひとつの解釈にすぎない」ことを心に留めておいてください。

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2. 今を生きるための現代詩

現代詩が難しいと思っている人へ

詩とは系の本。内容については「本当にそうか?」となる部分が多くて、個人的には鵜呑みにしない方がいいと思いますが、「本当にそうか?」について一つひとつ考えていくことで、自分の中で詩とは何かを整理することができるようになります。あと、あくまで「現代詩」について書かれた本なので、古代からのすべての詩について当てはめることはしない方がいいかもしれないです。これも私の感想ではありますが…。

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3. 現代詩入門

詩のあり方が気になる人へ

詩人・大岡信と谷川俊太郎による詩についての対談本。詩が社会の変遷の中でどういう位置に置かれてきたか、どういう詩がいつ読まれてきたのかなどが載っています。詩の役割など、詩を読むことだけでなく、詩そのものについて深く考えたい人におすすめの本です。

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4. 詩ってなんだろう

詩を体感したい人へ

詩が詩で解説されている本。これも詩だよね、あれも詩だよね、を詩で体感させてくれます。これを読むと、詩のあり方はひとつではないということがわかります。「詩とは」と聞かれたときに一言で言えないのは、これだけの多様性があるからなんだなあと。詩が何かを知るには究極な本だと思います。字組もいいので、文庫版よりも単行本(って言っても薄いですが)の方がオススメです。

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番外編. 詩とは何か

詩人の頭の中を覗きたい人へ

こんなタイトルなのに詩とは何かについてこれを読んでも正直全く答えは得られません。が、詩人とは何かはわかる本です。詩人が何を考えて詩を書いているのか、何を燃料に詩を書いているのかが気になる人はぜひ読んでみてください。詩を書き始めたけどなんとなく自信がない人にもオススメです。私は迷ったらこの本を開いています。

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他にも紹介したい本はありますが、もっともオススメのものを選んでみました。気になった本があれば貸すので声をかけてください。詩の解説本は意外といっぱいあるのですが、どれも個人の感想にすぎないので、実際に読んで感じたことを大事にしてもらえたら嬉しいなと思います。誰?って感じですが。

少しは有益ブログに近づけたと思います。それでは。

詩の神と交信したい

やばいタイトルだ。いくところまでいった感がありますが、いたって正常です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

スランプ気味ですが、飽きずに毎日詩のことばかり考えています。で、いろいろ考えた結果、「予定された言葉を書きたい」「あらかじめ決められた言葉をおろしたい」「詩の神の使いになりたい」となってきたので、考えをまとめるために書きます。ブログはTwitterとかと違って読む人が限りなく少ないので自由にやります。やっていきます。これからも。

ここ最近は「予定された(ここに書かれるべき)言葉をその通りにおろす(書く)ことで、究極の詩を目指したい」と考えています。究極な詩の形というものはあらかじめ用意されていて、それを完璧に模倣することで「詩というもの」に近づける、詩とは何かを求めることができるのではないかということです。

意味を完全に剥奪された詩、それがすなわち詩の真の姿であり、純粋な詩と言える

今まではこんな理念のもと、詩の意味の剥奪をやってきました。それが前々回のブログでも書いた詩集での挑戦でした。そのために、完璧ではありませんがオートマティスム、つまり自動筆記(記述?書記?)や言葉の羅列のような手法をとって書いていました。しかし、意味のない詩を集めた詩集を一冊つくったのち、それは本当に純粋な詩と言えるのだろうか、という疑問がわいてきました。書かれた言葉に意味がないのであれば、存在意義すらなく、そもそも誕生させる理由がないのではないかと。何も手を加えず、何も生まれていない状態こそが詩なのではないかとまで考えるようになりました。

意味のない詩の典型的なやつです

それでも書くとなれば、意味のある詩、なんらかの意義があるものを生む必要がでてきます。ここで言う意味のある詩とは、メッセージ性があるものということではありません。「この作品のメッセージはなんですか」が愚問であるように、メッセージなるものを一言で「〜です」と言い換えられるような作品はおもしろくないと思うからです。ということで、わかりづらいのですが、「意味のある」とは存在意義があるということにしておこうと思います。

すでに存在しているものは、すべて存在意義があると言えると思います。逆説的ではありますが、無の状態について意義の論理を立てることはできないからです。

そこで、詩とは何かを求めていくとき、究極の詩というものはすでに存在しているものではないかと思うようになりました。私が作り上げるものではなく、探し出し模倣するものなのではないかと。

詩を真面目に書くようになってから気づいたこととしては、書きたいことは自分の中にないということと、平凡な自分の考えを書いても全くおもしろくないということがあります。書くべきことは自分の外にあるということはわかっていましたが、それを手探りで掴み取って言葉へ変換していくこと。それが詩を書くという仕事なのだと気づいたという感じです。少なくとも今はそう思っています。

まだまだ詩を書くということについては駆け出しですが、これからは、究極の詩というものが存在するということを念頭に、それを追い求める作業、書くということをやっていきたいと思っています。詩人とは、詩の神がつくった究極の詩に書かれた言葉をおろす、いわば「詩使」のような感じなのかもしれません。…やばい感じになってきましたが、全く正常です。

詩への考え方がコロコロ変わっていて、自分でもなかなか追いつけないのですが、それに伴ってまた作風が変わる気配を感じています。最後に最近書いた詩を載せて、終わりたいと思います。

やばいタイトルのブログを最後まで読んでいただきありがとうございました!

一番最近書いた詩、これはゴダールの『気狂いピエロ』から着想を得たもの

詩が書けないならAe触ればいいじゃない!

こんにちは。

詩が書けないのでなぜか大学生ぶりにAfterEffectsを触って2Dアニメーションのチュートリアルをやったりしています。

みなさんはお元気ですか。

こんなのとか

詩が書けなくなって久しいです。詩集つくったりもしてたのですが、あのために書き下ろした詩は無いので、かれこれ2ヶ月近く何も書いてないと思います。書けなくなったのは詩を書くことが楽しくなくなっていることに気づいてしまったからです。雑誌に投稿するようになってからは締め切りがくるから嫌々書く、みたいになってきていて、昔みたいに自分のために書くことができなくなってしまっていました。できあがった詩そのものよりも書くための動機や書くプロセスの方が重要だったので、この状態はなんとも不健全というか、自分にとっては全く純粋な詩ではないというか。こんなことを考え始めて全く筆が進まなくなってしまいました。そもそも書きたい!と思うこと自体が全く無くなっていることにも気がついてしまい、悲しい気持ちです。まあ今までもスランプは何度もあったので、この先一切書かないなんてことはないとは思うのですが、詩を書いてない期間は自分が自分じゃないような気になってしまうのでつらいですね。何かつくってないと落ち着かない。

だからこんなのつくったりしてるわけです

このあいだ「いつも何してるの?」と聞かれて詰まってしまいました。映画見たり詩書いたりってよく答えてたのですが、最近はどちらもあんまりしていなくて、本当に何してるのかわからなくなってしまった。でもよく考えたらAppleMusicで音楽をディグってることがほとんどでした。日常の中で何かをしながらではなくて、音楽を聴くだけの時間っていうのがわりと発生しています。それは音楽が単純に好きだからなんですけど、この「好き」の度合いをやたらと気にしてしまっていたなと最近(今日!)気づきました。

2秒つくるのに40分とか平気でかかる

好きなことを仕事にしたい、好きなことに触れていたい。映画が好き、だけど監督はわからない。音楽も好き、だけどそんなに詳しくない。本が好き、だけどそんなに読まない。そんな感じで「だけど」と言って自分の好きを閉じ込めてしまっていました。でも、

好きなら好きって言えばいいのに。

って、なんか急に思いました。好きの程度なんて誰にもわからないし、誰にも測れない。好きなら詳しくなきゃいけないなんて幻想でしかなくて、知識がないことを恥じらう必要はどこにもないわけです。知らないことは調べればいいし、教えてもらえばいいだけ。好きなものはこれ!って言い切ってもいいわけです。

これからは胸張って好きなものは映画と音楽と本です!って言うぞ!

詩はそのうちまた。それでは。