こんにちは。お久しぶりです。
みなさん、あつもり捗ってますか。
さっき島に着いたのに、現実世界では10時間経ってたってこともあるので、あそこは本当に危険な場所ですよ…。
最近は就職活動をしています。カナダから帰ってきてしばらくは、また海外に行こうと思っていたのですが、去年の夏くらいに就職しようと思い立ちました。っていうのも、いろんな人ともっと出会いたいと思ったからです。
2019年は、あまりしゃべったことのない人とふたりでごはんに行ったり、あまり関わってこなかったタイプの人と働いたりすることが多くありました。話をする中で、そんなこと考えてたんだ〜みたいなこともたくさんあったし、私のことを面白がってくれる人もいたりして、人と会うのおもしろいなと思うようになりました。
いろんな人に会うには自分からいろんな場所に行けばいいわけですが、会社といういろんな繋がりをもった場所を使えば便利なのではということで、就職を考え始めました。
詩を書く上で自分が知ってる感情を増やしたいというのもあります。社会に出て会社に入って働く人が多いなら、そこでの感情を知っておいたほうが共感性が高いものを書けるようになるのではと…。あと、自分のやり方を貫きすぎていると、ヤバイ方向にずれていきそうな予感がして怖くなったっていうのもあります。変わってる!とか個性的!とかそういう意味じゃなくて、自分のことしか正義だと思えないヤバイ人になりそうっていう意味で。笑
就活をしていると「どうしてカナダに行ったのか」をいつも尋ねられますが、自分を鍛えるためです。端的に言えば。
でも、その根底には将来生きていく自信がなかったというのもあります。人生を計画的に進めたい欲もなかったので、太く短くで十分だと思っていました。結婚したいとか子供もちたいとかお金もちになりたいとかもありませんでした。ひとりで生きていくなら好きにすればいいし、いざとなったら最終手段をとればいいとかなんとか。苦労してないからそういう欲が無いのかもしれないけど。
自分の数年後すら上手に想像できなかったので、正直どうなろうがどうでもいいと思っていたことが全てのベースです。
で、自分のことを鍛えて自信をつけたいという気持ちと、変な選択で面白い人生にしてやろうという気持ちで、カナダに行くことを決めました。3年生の夏くらいだったかな。就活をせずに卒業後に行くっていう決断ができたことがすごいと言われることもありますが、実際は甘えられる環境がなければあり得なかった決断だと思います。奨学金の返済もないし、卒業後に家を出ていけと言われたこともないし。必死にならないといけない理由がなかったわけです。だからこそ自由にやれたと思います。親の反対を押し切って決行したとはいえ。
でも、そうやって得られたカナダの1年とフリーターの1年は、前向きに将来を考えられるようになったという意味で、私にとってめちゃくちゃ必要な時間でした。結果的に就活していますが、この2年が就活の準備期間だったとは思っていません。就職しなくても、自分が納得できる人生にできる道はいくらでもあると思っているので。甘いですかね…。
そういえば、こないだ面接で「英語とか制作とかウチでは活かせないと思いますが、いいんですか」って聞かれて少しびっくりしました。その質問に対する返し方でやる気をはかってるってことはわかりますが、やってきたことはすべて仕事に活かさなきゃいけないって考え方が苦手だからです。自分の仕事と、就職した会社でやることはいつもイコールとは限らないのではと…。でも私は企業でしっかり働いたことがないからそう思うだけなのかもしれないですね。その面接のときは「仕事に使えなくても人生の糧になっているので関係ないです」的なことをオブラート5枚くらい重ねて言いました。ただ、今になって文字にしてみると面接で言うことか?という気持ちです。笑
英語を使う仕事に就くの?とか聞かれることもありますが、必須ではないと思っています。カナダでの経験は英語が使えるようになった以上に価値があったし、それなりに英語に慣れたことがマイナスになることはないし。
役に立たないなら意味ないっていう意見もあると思います。たぶん、将来お金にならないとか、今の自分に関係ないとか、その知識があってもなくても変わらないとか、時間がもったいないとか、そういう理由で。でも、それを学んで少しでも生まれる会話や気持ちがあれば、もうそれは生きる時間を楽しむための役に立ってるって言ってもいいんじゃないのかなあ。もし苦手で無意味だって思ったとしても、自分の好き嫌いとかを判断する材料としては役立ってるわけだし…とか。何事も見える結果にならなきゃだめなのかなあ。
就活するにあたって、社会での役割を問われるようになりました。ただ、知らない人がたくさんいる社会で、自分がどう役に立っていきたいかって考えるの難しすぎる。最初はほとんどの人がそうだと思いますが。
社会にいる多くの人に向けてというより、見える範囲の身近な人にとってなんかいい感じの人でありたいですねー。私の知ってる社会にいる、知ってる人の役には立ちたいなあ。社会って結局、自分の範囲でしか想像できないのかもしれない…とか思ったけど、それってめっちゃ当たり前ですね。笑
肩書が欲しくて焦っていましたが、何かのスペシャリスト、「〜をしている人」になるだけが人生の目的じゃないのかもしれないなあって最近やっと思い始めました。生きていくうちに誰かの誰かになれればそれでいいかな、とか。よく会うご近所さん、でも、大学時代からの友達、でも、長く連れ添った恋人、でも。それは物事を極めることの諦めでもあるかもしれないけど、そのうち何か続けられることがあればそのときは追加の肩書が増えるし、それでいいな笑
こんな感じの最近ですが、来年になって海外に居たり全然ちがうことしてたら、そのときは笑ってもらって大丈夫です。笑
とにかくみなさん、あつもりを始めるときは全活動時間を捧げる覚悟が必要です。無人島をあなどってはいけません。私からの忠告です。
