2021年とは一体なんだったのか

どんなタイトルやねん

こんにちは、2021年の振り返りをやりたいと思います。

1月

ブログを開設。唐突にシフォンケーキ作りブーム到来。2、3日に1台というえげつないスパンで焼く。

左から初、2回目、3回目のシフォンケーキ

2月

シフォンケーキを焼く。会う人会う人にシフォンケーキについてつっこまれるようになる。

3月

シフォンケーキを焼く。百均とスタバを退職。映画ブーム到来。1日6本見る暴挙を成し遂げたり、レンタルした『鳥』をかけながら身支度したりするようになる。

4月

入社。研修。IT企業に入るも、ウェブについて何も知らなさすぎて悔しくて泣く。研修が楽しすぎて、本当にこれでお金もらっていいのか?と同期と毎日言う。

同期と先輩よりすごい量の誕生日プレゼントをもらってAmazonの業者と化す

5月

初めて詩の教室に行く。詩のことを真剣に考えている人たちに会えて嬉しくて泣く。

6月

持病の椎間板ヘルニアで首が逝き、「首が曲がった男」というタイトルの話を書く。安静にしている時間が暇すぎて読書ブーム到来。1日2冊読む。病んで自分を捨てたくなり筆名を変える。

この角度から動かせなくなった人のガチの首痛いポーズ
(feat.どんなときでもウケたいという強い気持ち)

7月

上京する。3階、南向き。

8月

前触れなく香港映画ブーム到来。ウォン・カーウァイ監督作品をすごい勢いで見たのち、カンフーにハマりブルース・リーとジャッキー・チェン出演作をすごい勢いで見る。『ドラゴンへの道』という衝撃的な映画に出会う。家の近くの道場を探す。

9月

フジロックに感化されて音楽ブーム到来。1週間2回という意味のわからないスパンでスタジオに通い始めて「レコーディング前のバンドマンやん」と言われる。初めて自分で曲をつくる。音楽制作が難しすぎて今まで馬鹿にしてきた曲すべてに土下座したくなる。

10月

長引く音楽ブームの中、詩の朗読会に誘われて参加。自分と自作の詩を結びつける初めての経験になる。

ギタースタンドを導入したらどうぶつの森みたいになった部屋

11月

初めて詩誌に投稿する。落ちる。寝る時間と起きる時間がどんどん早くなる。

12月

2回目の投稿。載る。寝起きの時刻が早くなりすぎて20時3時を記録する。

クリスマスにやってきた可愛すぎるタコさん

ブームが変遷しまくった2021年。すべては突然に始まり、えげつなくハマり、1〜2ヶ月でフェードアウトしていく…。

詩についてはわりと精力的に活動したと思う。一人暮らしを始めてからは、読んだり書いたりする時間が増えた。賞にはそんなに応募できなかったけど、初めて朗読したし、初めて詩誌に載ることもできた。推敲も前より念入りにやるようになったし、少しだけど前進できた年になった。

詩は習作含めて20〜30篇くらい書いたと思う。今年4点だったグラフィックを来年はもうちょっと作りたい。賞にももっと出したいし、ユリイカとか現代詩手帖にも臆せず挑戦しなきゃいけない。あとは、やる気がなくなったときや何も作れないときも、できるだけ自分のことを責めないようにしたい。しかし今年を生き抜いたの偉すぎるなあ。よくやった…。

毎年何やったか覚えてないなと思っていたけど、今年はしっかり記憶がある程度にはいろいろやったんだと思う。

来年はもっと楽しい1年になるよね、ハム太郎?

バドワイザーは瓶一択

こんにちは。

部屋が寒いです。おかしい。まだ10月半ばじゃん…って思ったけどもう10月半ばも過ぎてました。ついこないだまで暑かったから色々と勘違いしてしまっていたようです。でもビールはまだ美味しいですね、というかずっとおいしいですね。バドワイザーが1番好きです。苦さがマイルドで好み。

先日、詩の朗読というものに参加してみました。詩人扱いされて超絶照れ臭かった。私はまだ詩人なんかじゃないので、ただちょっと詩を書くのが好きなだけなんだよ…と思ってしまった。実際、自己紹介を求められても「詩を書くことが好きです」としか言えなかったです。笑

詩のことを真剣に考え始めて、というか、詩として書こうと思ってからまだ2年くらいしか経っていないけど、最近はそれが楽しくて仕方ないです。詩の講座に通い始めたのも今年のことで、筆名を変えたのも今年のことで、なんとなく自分の癖がわかり始めたのも今年のことです。そういえば全部半年以内の話か。

外に出したら意外と褒めてもらえたりして嬉しい。朗読も初めてのことだったけど、見てくれた人には褒めてもらった。嬉しい。ちなみに自分の朗読の録画は死ぬほど恥ずかしくて見られてない。たぶんこの先も見ない。

詩なんてキモいし、詩なんて独りよがりだし、詩なんてよくわかんないしまじで嫌いだったのですが、真剣にやればやるほど面白くて、好きになってきているなと感じます。詩を嫌う感情も面白いので、嫌いなままでいたいとも思っているのですが、嫌よ嫌よも…と言う通り、やっぱり魅力を感じてしまう。

わからなくて嫌いだった詩は、意味以外にも味わうところがあるなと実感できたのは最近のことです。もし今も詩に意味しか求めてなかったとしたら、自分が書いたのとほとんど同じ意味を持たせている詩に出会った途端、何も書けなくなっていた可能性もあるなと思います。もし書かれている意味だけを詩に求めているとすれば、私が下手に言い直す必要なんてないわけで、やめてしまっても構わない。でも、同じ意味であっても言葉を使った意味の磨き方は全然ちがうし、言葉による研磨力を高めることが詩を書く面白さでもある。

物事を見る目の鋭さや深さというのはすごい詩人のすごいところだけど、その目で見たものをいかに言葉で描くことができるかというのもすごい詩人のすごい理由だと思う。というかそれが詩人か。自分の目だけを期待していても、同じ目をもつ人に出会ったときに耐えられないと思うし、そこだけに期待するのはやはり違う。

そもそも、自分が考えていることのほとんどは他の人も考えているというのは当たり前なので、自分の考えがオンリーワンだとは全く思わない。…解散してしまった国民的アイドルのあの曲を否定しているわけではない。笑

だからこそ「表現」と言われるように「表現」力を磨かないといけないし、他の人とちがう「表現」をしなくてはいけないし、他の人の「表現」を勉強しなくてはいけない。

これは他の芸術(作られるもの全てを指したい)にも言えることだと思うし、詩もそこに含まれるというだけで、この話だって別に珍しい話ではない。私は最近やっと実感をもって気づくことができたよという報告にすぎない…。

芸術やらなんやらに触れる方の面白さもここにあって、意味がわからなくてもわからなさに触れられることが面白いのだと思う。わからなくていいし、わかりきったことを確かめても何もならない。ぬるい安心しかそこにはない。そういう普段の生活で感じられない危険さ?というか怖さを与えられるようなものをつくりたいなあ。いつも同じことを言っている気がする。

ありがたいことに詩に年齢は関係ない。肉体の衰えも、そこまで関係ない。もっとやれる余地がある。とか言って最近なんか調子のってていい感じだけど、そのうちまたもう無理だ書けねー!ってなる。どうせその繰り返しだ。

詩なんて流行らないし、別にイカす趣味でもないけれど、なんとなくやめられなくてなんだかんだやっている。言葉は誰でも使えるからこそ、もっともっと面白い使い方をしたい。諦めが悪いことは才能って言ってもいいかもねと友人と話したりしていました。これが才能なら、この才能だけは信じていたい。やめなかった者勝ちでしょ、たぶん。

バドワイザーがしんどくなっても、ホットコーヒーは美味しくなる。寒いのもまあ悪くないか。

レッドツェッペリンってバンドだったんだ

こんにちは。

9月に入って急に寒くなって、秋のやる気に怯えています。大好きな夏は終わってしまった。また来年まで楽しみに待つか…。今年の夏は全然暑くなかったな。東京が涼しいのか、今年が涼しいのかよくわからん。

最近は音楽熱が上がってます。8月はウォン・カーウァイ監督作品を見まくったりブルース・リーにハマったりして香港映画ブームだったのですが、今は音楽が来てます。高校生の頃にバンドを組んでいたのですが、それ以降ギターは1ヶ月に1回弾くか弾かないかくらいでした。で、最近思い立って久しぶりにスタジオに行ってみたらアンプつないで出す音が半端なく気持ちよくて。でかい音サイコーすぎか!?!?ってなりました。笑

エレキってアンプにつながないとあの「ジャーン!」っていうかっこいい音が出ななくて、生音だとアコギの半分くらいの音量で「しゃかしゃか…」くらいしか鳴らない。だからずっと生音でやってると自分が弾けてるのか弾けてないのかよくわからないんですが、アンプつないで初めてコードチェンジとかが高校生の頃よりマシになってたことに気づきました。

なんでもそうだけど、「ちょっとできるかも」って思い始めたくらいから途端に楽しくなってくるものだと思います。今までの楽器歴だと、ピアノもそれなり、吹奏楽でやってたファゴットもそれなり、和太鼓もそれなり、ギターもそれなり(以下)なのに「楽器やってるんです」だけで満足していたのが、練習したら上手くなることを実感できて、楽しくてしょうがなくなってしまいました。最近は週2くらいでスタジオに行ってます。笑 楽器上手くなりたいと思ったのは初めてかもしれない。ギターは狙った音を出すだけでも難しくて、絶対上手くならないと思ってたけど、ちゃんとやるとちゃんと鳴るし、練習すれば上手くなれる楽器なんだと気づきました。めちゃくちゃ当たり前のことを言っています。笑

中途半端な弦の押さえ方で適当にピッキングして誤魔化して圧倒的に1番足を引っ張っていたのに、当時は全然練習してなかった。メンバーには本当に迷惑をかけた。チョーキングとかプリングとか基本的なテクニック的な部分もガン無視して勘でやってました。本当にすみませんでした。みんなで音を合わせるのはもちろん最高に楽しかったけど、結局あのメンバーで集まるのが好きだっただけなんだよな。

2月くらいに見た『あの頃』って映画で「お前にFenderなんて10年はええんだよ!」みたいな台詞があって、グッサリきました。というのも、私はFenderのいいギターを持っているからです…。高校生の時のバイト代全て注ぎ込んだ白のストラトキャスター。ストラトキャスターはザ!エレキギター!って感じの形のギターです。本当はジャズマスターという形のギターが欲しかったんですが、楽器屋のお兄さんに「ジャズマスはネック(持つところ)が太くて弾きにくいから初めてはそんなにおすすめしないよ」って言われて、楽器屋さんが言うならそうなんだろうなと思ってストラトにしました。だから当初はそこまで気に入ってなかったのですが、改めて見ると超クールですね。FenderUSA製なんですけど、USAっていうのがまたなんかかっこよくないですか?(Japanとの差は知らん)しかも白!おしゃれー!!そんないい楽器なのにあんまり気に入ってなかったというのと錆びをとる概念がなくてメンテしたことなかったのですが、フレットとブリッジを半信半疑で磨いたら超綺麗になりました。蔑ろにしてきて本当にごめん。これからちゃんと大事にするからね…。

意味わからん画角でしか写真撮れない病

興味出てきたのでロックの歴史もちゃんと調べるか、と思っていろいろ調べてるんですが、レッドツェッペリンってバンドだったんですね。ギターめっちゃ上手い人の名前だと思ってた。ジミヘンみたいな。というかジミヘンのことそんな略して軽々しく呼べないので、ジミ・ヘンドリックスさんって呼ぶべきかもしれない。ツェッペリンがバンドってこと、スタジオに入ってFender持って練習してるくせに知らないのやばすぎなのかもしれないけれど、知らないものは知らない。ジミ・ヘンドリックスとジェフ・ベック被ってたし、Blowin’ In the Windボブ・ディランの曲だったことも初めて知った。てかボブ・ディランとボブ・マーリー被ってたわ。マーリーがレゲエの人ね…。知らないこと積極的に知らないって言って知ってる人に教えてもらいたい。まじでなーんにも知らないので、笑

ツェッペリンのベスト盤。
公式が全曲公開してるのやばいでしょ。

ロックのジャンルとしてグランジといえばニルヴァーナしか知らなかったけど、ソニック・ユースとかうバンドとかもいるらしい。知らねー。セックスピストルズパンクに分類されることも知らなかった。しかもピストルズって割と前のバンドなんですね、勝手に90年代のイメージだった。知らねー!

それなりでまあいいやと思っていたことをちょっと丁寧に学び直すのはいつやっても面白い。今年の初め頃に狂ったようにシフォンケーキ焼いてたときもそういえばそうだった。今のブームはこれ!みたいなものが割といつも明確にあるけれど、どれも続かないせいで専門分野的なものは一生できない気がします。ただ、どれも今そのときの自分にとっては新鮮で面白くて、そういう今これ!というものに素直に突っ込めるのもまあいいか〜と思ったりします。

たぶん繋がらないものは何もないし、というか繋がらなくてもいいし、好きなこと好きな時にやってればいいんだよなあ。熱しやすく冷めやすいからこそいろんなものを純粋に楽しめてるような気もする。続かないことを気にしてたけど、それもいいところだと思いたいな。詩をベースに、映画と本のブームが交互にきていたけれど、そこに音楽も加わってめっっっちゃめっっっちゃ楽しい。人生長くてよかった〜、いっぱい楽しめるじゃん〜って思える。笑 今日は何して遊ぼうかと毎日考えてる。たぶん音楽熱もそのうちおさまっていくので、3日後にはまた何か違うブームになってる可能性も多いにあります。

東京は涼しい。私が東京ってタイトルで音楽か詩か何かつくったとしても、涼しいしか言わないかもしれないな。

フジロックに行った話

自分の中でまとまったので書くことにする。

今回の記事は、いつも以上に知らない人が読むことを想定しているので、とにかく予防線を大量に張っておく。コロナの話を扱うけれど、真に感染したときにどうなるかという想像力が足りていない、恐ろしさがわかっていないということを晒しているので、医療従事者の方が見たらショックな記事だと思う。現在の現場がぎりぎり良心で支えられているらしいとすれば、私だったらコイツがかかっても助けたくはない。

フジロックの1日目に参加した。宿泊はしてないし、周辺の店も利用していない。交通手段はフジロックのオフィシャルツアーバス。特に「行きました!」という報告は必要ないけれど、「五輪を批判しておいて」とか「スポーツが嫌いだっただけでしょ」とかいう意見を見て、行く判断をしたことについて整理しておきたかった。チケットを買ったことは公言していたから。

ライブ中は密だとか言われていたけれど、実際には密だと感じた瞬間はなかった。アーティストに近い場所には距離を保つために立ち位置に印がされていた。そこにしか立ってはいけないという印。ライブ開始を待っているとき、立ち位置ではないところに割り込んで来た人がいた。周りが印の部分にしか立ってはいけないことを注意して、立ち退くように促し、その人は移動していった。

印のない場所でも、常に距離がとられていた。前へ前へと押されることももちろんない。声を出す人もいない。みんな手を上げて体を揺らすけれど、一度立ったその場からは動かない。私が見たアーティストがたまたまそうだったのかわからないけれど、人と距離が近いと思うことはなかった。もちろん前も後ろも同じ。YouTubeの配信で見ると観客同士が近く見えたけれど、カメラのせいなのか、角度のせいなのか、その時は本当に近かったのか、それはわからない。

行くべきか行かないべきか迷っていたとき、私の中で考えていたのはこんな感じのことだった。

  • コロナを気にしない人だと思われそうだから
  • 常識がないと思われそうだから
  • 五輪を批判していたくせにと思われそうだから
  • 新潟の人にどう思われるか怖いから

要するに自分の体裁でしか考えていなかった。私の中で「感染拡大につながるから」という理由はなかった。モデルナ製のワクチンを2回打って2週間経過していたけれど、打ってるから絶対大丈夫っしょ!とは思っていなかった。だから、もちろん自分がかかる可能性は考えていたけれど、もはや病院を頼れる状況ではないのでどちみち自分でなんとかしなきゃいけなくなると思っていた。かかった後に人に広げる可能性も考えた。ただ、一人暮らしだし仕事はリモートだし外食しないし直近で人と会うこともないし、可能性はあまり無いのではと思った。ここが意識の甘さの部分で、医療従事者の方にとってはかなりショックポイントだと思う。

次に、五輪を批判していた理由を考えた。

  • 国民の声を無視した強行だったから
  • 税金を使っていたから
  • 開催を納得させる説明がなかったから

ここにも五輪開催が「感染拡大につながるから」という理由はなかった。本当に怒っていたし、今も怒っているし、それでも私にはこの国しかないことを心の底から残念に思う。五輪に使うお金があるならまずコロナ対策に回すべきだというのは明白だったし、全ての声を無視していたことも明白だったと思う。国民を馬鹿にされていると思っていたし、思っている。だから批判していた。でも、フジが開催をやめたところで国のコロナ対策は変わらない。

フジに行ったことを正当化しようとしているわけではない。感染拡大につながるという軸で判断する限り、正当化はできないし、するべきではない。でも、五輪を批判したのであればフジも同時に批判しなければ整合性がとれないということはない。五輪反対派だけど、批判しているポイントがちがうから。…どうしても言い訳がましくなるの悔しいけど。

五輪もフジも同じように批判している人は本当に「感染拡大になったらどうするのか」という懸念をしている人だと思う。人を集めるイベントであるということは同じだから。自分の行動が感染拡大につながるという危機感がそこまでなかったことは自覚している。そこまで先まで考えて状況を受け止めていなかった。そこまで判断できていなかった。これに気づいたときには相当ショックだったけれど、実際私は日本全体がどうというより、自分が罹患するときのことしか考えていなかった。自分が罹患することと、日本全体のことが一致していなかったとも言える。

ネットで自分の意見を言えるようになって、「あなたはそっち派、私はこっち派」という区別を簡単につけられるようになったように思う。同じように、どっち派であるかを表明することで「正しく」そして「正義感」のある「潔白」な人間であることを示しやすくなった。

私のフジロックに行く行かないの逡巡は完全にここが根源だった。チケットを買っていたけどキャンセルしたということを報告すれば、自分はコロナについて「正しく」危機感をもっていて、「正義感」あふれる振る舞いをすることができるという「潔白」を示すことができたと思う。でも、キャンセルしようか迷っていたのはこの「潔白」を示したいという欲でしかなかったことは分かっていた。自分の好感度を上げようとするパフォーマンスにしかならないと思った。(パフォーマンスであっても結果的には行かない選択の方が正しいことはわかっていたけれど、どうしても腑に落ちなかった)

行かない選択をした場合、配信を見ることはフジを認めていることになるため、配信すら見ないことが正解になっていたと思う。行かない=人が集まるイベントに反対=応援してはいけない、になるから。五輪開催時、試合のハイライトを目に入れないことを徹底していた。批判するということはそれくらいの責任があると思い込んでしまっている。本当はここまでしなくていいと思うけどな…

というのも、正直、結局よくわかんないねってなることの方が多くて、そっち派とかこっち派とかに明確に立てる方が少ないと思うから。よくわかんないというのは、全く何も考えてないとき以外に、いろんなこと考慮した時にも出てくる言葉だと思う。意見をもたないことは許されないような、正しくなくちゃいけないような、そんな気がしているけれど、もやもやしながらフジの配信を見たりすることが間違っているとは全然思わない。むしろそれが自然だと思う。

これはフジロックについてどう捉えていたかという記事だけど、最近は何にでも意見を持たなくてはいけなくて、流行りのトピックについて話さなくてはいけなくて、わざわざ疲れたり怒ったりする情報に向かって行っているような気がしてならない。それは世間の風潮的にもそうだけど、私自身もそこに思いっきり陥っていると思う。波にまんまと乗せられて、こうやってブログを書いたりしてしまう。別に誰も求めてないのに、立場を表明したがっている。また自分の話をしている。黙っていることができない。だって誰にも聞かれてない、どう思いますかなんて。だからブログなんてやめちまえよ…と思ったりもするけど、読みたい人しか読んでいないと思うので、このままにしておく。でも、特にこの記事は関係のない人に見つけられることもあるだろうし、コメントで攻撃されることも想定している。正直めちゃくちゃ怖いなあ。

出演していたアーティストは、コロナについて触れる人もいれば触れない人もいたけど、今回ほどアーティスト、ミュージシャンがライブという仕事をしているのだと思ったことはなかった。何かを作る仕事をしている人は作品そのものだけでなくてそれが生まれる根源の美しさを期待されている気がするけれど、作品だけでなく作者の心も含めて評価されるのはむごいなと思う。語気の強い言い方になってしまうけれど、コロナについて、現在置かれている状況についてどんな意見をもっていようと、彼らはそのステージに立って彼らの音楽をやってくれればいいと思う。だから、自分の期待と違って、このフェスに出演したからといって彼らの音楽を嫌いになったりする必要はないと思う。というか、嫌いになるのは失礼だとも思う。彼らがどういう思想をもっているかと、音楽の良し悪しは全く関係がない。それは作者の人間性と作品を分けて捉えるべきだという考えに立脚している。その人自身がどうとか正直どうでもいいよな。…と、立場と潔白を証明したがる自分に言い聞かせている。

METAFIVEのライブ、ものすごくかっこよかった。

甘みの足し方

過去に対して厳しすぎる気がする、と考えていた。

小山田圭吾の話があった。その後の世間の反応にかなり落ち込んだ。どんな過去の物事も今につながっているとは思うけれど、今を過去だけで評価しているようで、更生を許さない世界につながっていく気がして怖いと思った。

小山田圭吾も人なんだけどな。彼の音楽が好きだから擁護したいと言う気持ちがないわけではないけれど、世界中からあんなに「間違っていた」と指摘されたら、自分のことを責めすぎて立ち直れない気がする。今の彼を評価している人はどれくらいいるんだろうか。

今は昔とは違うので許してください!って言ったとしても、なんでもかんでも許されるとは思わないけれど、みんなひとつも過ちが無いのか?と疑ってしまうほどに過去のことで攻撃されているのを見て悲しくなった。

もちろん過去の内容は最悪だった。あれが許されていた時代でなくなったことはよかったと思う。有名で影響力が強いから五輪降板というのも、それまでに謝らなかったことがだめだったこともわかる。だけど、あそこまで糾弾する必要があるんだろうか。過去を棚に上げていいとは思わないけれど、今どうであるかで判断できるようになりたいし、私は今の自分を自分として判断されたい。昔あんなこと言ってたよね、を永遠に掘り返されるなんて、辛すぎるよな、そんなの。(恋愛は相手に過去を評価されたとしても仕方ないとは思う。個人と個人の信頼の話なのでこれはまた別軸。)

たまたま見かけた記事に載っていた、ホームレスの人々を支援するつくろい東京ファンドという団体に寄付をした。無条件で個室の住まいを確保するハウジングファーストという支援をしているそう。

バイトで早朝に出勤するときに使っていた地下鉄の駅で、いつも同じ場所に同じホームレスの人がいた。その人は時々私の働いていた店に来ていた。店に来ると、実際には購入しないのに、コーヒー豆を選んでいるようにどういう特徴の豆かと店員に質問した。どの店員も購入しないことはわかっていたけれど、他の客と違う扱いをするわけにはいかないので、テイスティング用のドリップコーヒーを渡して、豆の説明をした。初めて店に来たときは路上生活をしているとは思わなかった。早朝に駅で見かけて、夏も冬も同じ服を着ていることに気づいて、初めてわかったことだった。

コーヒーなんて喉を潤すものじゃないし、水は公園で飲める。どうしてうちの店に何度も来ていたのかと考えると、昔からコーヒーが好きでよく飲んでいて、だからこそ時々どうしても飲みたくなるとかだったのかもしれないなと思う。この人に会う前から、いつか自分も家を失う可能性があるとは思っていたけれど、ホームレスの人に家を失う前の生活があったことはあまり考えたことがなかった。

家を失う可能性だけを考えるなら、貯金をしたりして自分のために備えればいいと思う。それでも寄付をしたのは、ハウジングファーストという取り組みがいいと思ったのもあるけど、記事内にあった

 「例えば路上生活になっている方がいて、その人が自己責任だったら、じゃあ助けなくていいのか、ということですよね。自己責任であろうがなかろうが、その人がどういう要因で路上生活になったとしても、やり直しができる社会のほうが、誰もが生きやすい社会ではないでしょうか」

という言葉に共感したから。自分がそうなったときは誰でもいいから助けてほしいと思うに決まっている。私もどんな理由で家を失うかわからない。信じてた人に裏切られてどうしようもないときに、信じたあなたが馬鹿だから助けませんとか言われたら無理だよ本当に。

自分も助けられたいからこそ、何かあっても救いのある世界になってほしい。長い目で見返りを求めているとも言える。ゆとりはあまり無いので決して金額は大きくないし、自分が生きる未来のための投資ではあるけれど、今困ってる人のためになればそれはそれで嬉しい。

自己責任で何かがあったとしても、やり直せる、どこかに救いのある世界であってほしい。そんなに甘くないよ、と言う人が大半だとしても、甘い方が私は好きだ。エゴだとしても、手の届く範囲で、ちょっとずつ甘みを足していきたい。