モニターはとにかく浮かせろ

こんにちは。

モニタースタンドを導入したらPC作業が信じられないほど快適になって、もう何も信じられません。

最近知った良かったことは、料理はレシピ通りに調理すれば美味しくなるということです。そんなに料理が下手な方ではないとは思うんですが、自分で作り上げたい!が先行してしまって、あまりレシピを信用していませんでした。というかチラッと見ることはあっても、従うことがあまりなかった。でもやっぱりレシピすごい。「レシピ通りにやれば誰でも美味しくつくれるの本当にすごいね!」って話したら「それがレシピだからね」って言われました。まあそうですよね。で、つい最近、おおさじ、こさじを家に導入しました。計るのって大事なんですね!いつも同じ味になる!!序盤からどんだけ当たり前なこと言うねんって感じですが、「おおさじこさじ」って芸人でいそうですよね〜。

そういえばちょっと前に難しい言葉で話すな、みたいな記事を書いたんですけど、浅はかだったなあって思ってます。いや、確かに人に説明するときとかは易しい言葉を使うべきだし、わかってもらいたいのであればわかってもらうように努力するというのは基本かなと思います。ただ、その言葉にしか表せないニュアンスというのがあるじゃないですか。たとえば、記事内で例に出した「寂寥」とか。これは「寂しい」と近い意味だし、たぶん辞書を引けばそういった意味が出てくると思います。ただ、「寂寥」と「寂しい」がまったく同じ意味なわけはなくて。「寂寥」にしか含まれない「寂しい」以外の感覚的意味は無視していいのかという。

これたぶん翻訳するときとかにも困るんだろうな〜と思います。私の詩にも英語のものがあるんですが、「自転する光」ってフレーズがあって、訳そうとしたら”The light rotates”で(文法は知らん、whichは省略しました)。でも、”rotate”ってつまり回転じゃないですか。編集ソフトとかでも使われる普通の回転。だから私の言いたい「自転する光」は英語にするとただの「回転する光」になっちゃうんですよね。まあ英語の”rotate”に「自転」のニュアンスが含まれるのかはわからないのですが…。易しい言葉になんでも変えちゃうっていうのはそういう含みみたいな意味をはぎ取ったりしちゃう副作用があると思うんですよねえ。

みたいなことを考えていて、早めに弁解?したかった。

しっかりいろんなことに考慮できているかどうかは常に後になってから判断できることで、しかも後になってからわかるのは考慮漏れだけっていう…。「ちゃんと考えててえらいなあ」ってなるのは発言した時点から何も変わっていないからということで…。発言するのは考慮しきった上で、といつも思っているのですが、完璧はなかなか難しいですねえ。

さて、今から3月と4月に見た映画のタイトルを列挙します。モニターの画面が手前のPCとかぶらないと、無駄にキーボードを打ちたくなるからです。

  • 『回路』 黒沢清 2000
  • 『リング』 中田秀夫 1998
  • 『狂った野獣』 中島貞夫 1976
  • 『ザ・フライ』 デヴィット・クローネンバーグ 1986
  • 『コーヒー&シガレッツ』 ジム・ジャームッシュ 2003
  • 『ナイト・オン・ザ・プラネット』 ジム・ジャームッシュ 1991
  • 『ザ・バットマン』 マット・リーヴス 2022
  • 『パターソン』 ジム・ジャームッシュ 2016
  • 『パーマネント・バケーション』 ジム・ジャームッシュ 1980
  • 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』 ジム・ジャームッシュ 1984
  • 『ダウン・バイ・ロー』 ジム・ジャームッシュ 1986
  • 『ライフ・イズ・ビューティフル』 ロベルト・ベニーニ 1997
  • 『女と男のいる鋪道』 ジャン=リュック・ゴダール 1962
  • 着信アリ』 三池崇史 2004
  • 『ボーイ・ミーツ・ガール』 レオス・カラックス 1983
  • 『ポーラX』 レオス・カラックス 1999
  • 『ミステリー・トレイン』 ジム・ジャームッシュ 1989
  • 『アネット』 レオス・カラックス 2022
  • 『シェルブールの雨傘』 ジャック・ドゥミ 1963
  • 『雨に唄えば』 ジーン・ケリー 1952
  • 『巴里のアメリカ人』 ヴィンセント・ミネリ 1951
  • 『ロシュフォールの恋人たち』 ジャック・ドゥミ 1966
  • 『紳士は金髪がお好き』 ハワード・ホークス 1953
  • 『ラ・ラ・ランド』 デイミアン・チャゼル 2016
  • 『お熱いのがお好き』 ビリー・ワイルダー 1959
  • 『サンセット大通り』 ビリー・ワイルダー1950
  • 『情婦』 ビリー・ワイルダー 1957
  • 『アパートの鍵貸します』 ビリー・ワイルダー 1960
  • 『麗しのサブリナ』 ビリー・ワイルダー 1954
  • 『バンド・ワゴン』 ヴィンセント・ミネリ 1953
  • 『三十九夜』 アルフレッド・ヒッチコック 1935
  • 『北北西に進路を取れ』 アルフレッド・ヒッチコック 1959
  • 『鳥』 アルフレッド・ヒッチコック 1963
  • 『ロスト・イン・トランスレーション』 ソフィア・コッポラ 2003
  • 『女は女である』 ジャン=リュック・ゴダール 1961

『鳥』まじで5回以上は見てる、大好き。

モニターとPCの画面かぶらないの快適すぎて永遠に書けるんですが、そろそろやめますね。おしまい。

フレンチロックを聴きたくて

こんにちは。

しばらく仕事を休んでいます。気分の波が激しいことが悩みで薬を飲んでたりするのですが、その沈み込む方が激しくなってしまったからです。休み始める前は時間があっても好きなことができなくなってしまっていました。それどころじゃなかった。でも、好きなことができなくなってくると、もう生きている意味がないも同然です。SNSでも寝るでもなんでも好きに時間を潰せなくなるのは最悪。

復活し始めてからは映画見て本読んで詩書いてを繰り返していますが、「詩書いて」が入ってくると一気になんか嘘みたいな感じになりますね。本当なんですけど、私が「詩」書いてんのまじでおもろい。

勉強のためにランボーとかボードレールとか読んでいるのですが、さっぱりわかりません。本当にわからない。この詩の良さというものを味わえるほどにはなっていないということですね。映画を見始めの頃に小津を見ても良さがわからないのと一緒かもね、という話をしました。なるほど。

映画といえば、よく映画を見るようになったのは去年の3月あたりからなのですが、映画おもしろすぎんか?とビビっています。映画を好きになれたこと、嬉しくてたまらないですね。同じ監督とか同じジャンルとかでまとめて見るのが楽しくて仕方ない。映画は要素が多いので、いろんな角度から楽しめていいですね。作品に浸かる時間があらかじめ決まっているというのも面白い。実際の時間(シーンやカットごとの経過時間)と映像内に流れている架空の時間(ストーリー内の時間)二つをコントロールしているっていうのも面白いですよね。今、何の参考文献もなく好きなことを言っています。笑

映画はジャンルや言語問わず見ているので、フランスのものも見ているのですが、フランス語が気になってきてしまって、フレンチロックやフレンチポップを漁っています。フランスのミュージシャンでも有名な人は英語を使っているのですが、私が聴きたいのはフランス語なんですよね……。ダフトパンクとフェニックスがフランス人だったの知らなかった。別に何人でもいいけど、彼らのフランス語曲を聴きたかった。フランス語曲歌ってるおすすめのアーティストいたら教えてください。

レッチリの新しいアルバム、どう聴いてもレッチリでしかなかったって話でもしますか?しませんね。でも本当にレッチリで、なんか安心しましたね。好きなアーティストの新しい曲聴くとき、前と雰囲気変わってたら「新しいことしてる!」となって嬉しいし、雰囲気が同じだったら「これこれ〜」となって嬉しい。新しい曲聴くときはいつでも幸せですね。

みなさん、好きなことできなくなってきたらやばいですよ。早めに休んでくださいね。では。

26歳は2回くる

こんにちは。

眉毛の絶対剃っちゃだめだったところを勢いよく剃ってしまいましたが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

4月16日はお誕生日でした。齢26を迎えたらしいです。父親に散々「アラサーやんwww」といじられていたのですが、アラカン、数年後にアラセブの人に言われてもなんのダメージもないですね。ぴっちぴちやろがい!

16日に日付が変わってすぐに電話をしていたのですが、お誕生日嬉しい?と聞かれて、うーんとなってしまいました。華のセブンティーンとか、18禁解禁やなとか、お酒が合法になるねとか、そういうイベントは全て解除になってしまったからなのか。いろんな年齢の人と関われるようになって1年の差を感じなくなったからなのか。まあとにかくもう何も感じないんですよね。で、牛乳の賞味期限が誕生日だった時の方がテンションが上がるという話をしました。

当日は家族にお祝いしてもらい、『ペスト』(伝染病の話なのですが、誕生日をどれだけ意識してないかがわかるチョイス)を読んでいました。そしたら、物語の始まりがまさかの4月16日でした。これは多いにテンションが上がりました。これこそまさに牛乳の賞味期限現象。

伝染病の予兆として鼠が死んでいてウケた

去年の25歳の誕生日は今年から働いている会社の面接の日でした。今年の誕生日はその会社の同期におめでとうをもらい、人生わかんないもんだなーという感じでした。プレゼントするから欲しいものリスト公開して!と言ってもらったのですが、自分の欲しい物リスト、改めて見るとまじで本ばかりかつ偏りがひどかったです。その本ばかりのリストを公開して気づいたのですが、欲しい本しかり、持っている本しかりを教えるのってめちゃくちゃ恥ずかしいですね。自分しか知らない部分がスケスケになるというか。普段服で隠れている変な形のアザを知られるみたいだなと思いました。…まあアザとか無いんですけど。

最近は、知らないもの全部を知りたい欲がすごいです。仕事も早く知りたいし、人がつくりあげている技術や文化や文明も、歴史も自然のことも全部知りたい。だから知らないことがあるとめちゃくちゃ悔しいし、悔しいけどとても嬉しい。知らないことがある限りいくらでも暇潰しできるし、いつまでも生きていられる気がする。

最近になってようやく映画を観たいと思って観るようになりました。数年前までは、映画は気に入ったものをセリフ覚えるくらい繰り返し観たり、本も音楽も同じものばっかりで新しいものはなかなか手を出しませんでした。今は知らないものに触れるということの面白さを知れてとても幸せだし、いいなと思えるものが増えて嬉しいです。

現代は、パソコンがあればDVDもCDも借りに行かなくていいし、本屋に行かなくても読みたい本は明日届くし、本当に最高だなと思います。ただ、常に自分にとって新しいものに触れられるからこそ、ひとつひとつの記録をきちんと残しておかないとすぐ忘れてしまうなと思います。日記も毎日書いているとどの一日もずっと存在し続けるのですが、そういう記録がないと、あったはずだけどもう無いものになることが多いなと。噛み締める時間というのを自分でつくらないと、新しいものにどんどん流されていってしまう。公開非公開に関わらず、記録や証拠を残すことは本当に大事。

上6冊は最近自分で買った本、下はもらった本。もはや富豪。

積読しないように読み終わるまで本を買わないマイルールがあったのですが、そのルールでいくと、しばらく何も買えないことになりますね。今ある本を興味の鮮度があるうちに読み切りたい。

そういえばこないだ初めて『星の王子さま』を読みました。よくいると言われている大人の典型を風刺したような内容なのですが、示唆に富んでいて言葉も易しいので、年代や人によって感じることもさまざまあるお話です。インターネットの情報によれば聖書の次に読まれているベストセラーらしいです。で、読んだのですが、

「大人ってこうだよね、成長すると盲目になるよね」と言われた気分。いわゆる「こういう大人」にならないように気をつけてきた自分にとっては、決めつけないでくれよと少し悲しくなった。もし初めて読んだのが子供の頃で今回が再読だったなら、大人になった今でもあたたかく幸せな気持ちになれたのかもしれない。
なんにしても、とにかく私はもう大人なんだなと痛感した。

っていう感想になってしまってショックでした。

読んだら絶対「いい話だな〜」「好きだわ〜」ってなれると思っていたので期待しすぎたのかもしれませんが、大人はこういう生き物だから諦めろよと言われているようで残念な気持ちになりました。こうならずに生きることもできるはずだし、こうならずに子供の目線でいることもできるはずなのに、全部否定されているようでとても悲しくて。でも私の感想はもう完全に大人の立場から出ているわけで、っていうことはもはや私は子供じゃないんだなと、子供の心を忘れたくないだけで既に大人なんだなと思いました。私はどういう大人になったんだろう。

誕生日が来て歳を重ねましたが、私の友人はみんな「永遠に14歳なんやけどw」って言うし、事実私もそんな気がしていました。でもやっぱり積み重ねてきた時間の分だけ、それなりに変化してきているみたいです。まあ全然悪いことじゃないんですけどね。今が一番楽しいし、今の自分が一番好きだし。

歳とったな〜と思いつつ、まだまだ若いな〜とも思うわけで、今やりたいこととやれるようになりたいことを考えて生きてたいな〜ってそんな気持ちです。とりあえず、四半世紀よく頑張ったってことで、新たな四半世紀も、記録になる1年を重ねたい所存。まじで人生初心者にしてこの抱負は偉いと思いますね。

ちなみに、25歳をやっていた1年間、ずーーーっと「来年は26歳だ〜」って思ってたせいで去年はもはや26歳の気分で過ごしてしまったんですよね。今年は貴重な26歳2年目をエンジョイします。大人になったこと、絶対言い訳にしたくねえ〜。

王子さまに「えっ思ってた大人とちゃう」って言われたい。

それでは。

家出は親との友情を生む

こんにちは。

どうでもいいんですけど、〜←この記号、波ダッシュって読むらしいですよ。〜波ダッシュ、~こっちはチルダ。~チルダ、こっちは〜波ダッシュ。…ってね、はい。

さて、つい最近、寺山修司の『家出のすすめ』を読みました。『花束みたいな恋をした』を観に行った直後に、好きなものを忘れたくない一心で過呼吸気味に何冊か買った内の一冊。笑 もうすぐ実家を出るということもあって選んだものです。この本はエッセイ集で、テーマごとに4つの章に分かれています。第一が家出のすすめ、二は悪徳のすすめ、三は反俗のすすめ、四は自立のすすめ。

家出のすすめの本の写真
ブックカバーを下までかけてから撮りましょうね

この本の中では、家出という言葉は家を飛び出すというより、実家を出るという意味で使われています。家を出たほうがいいよ〜というのをいろんな例え話を使って話してくれます。共感できるところが多いのと、文章のリズムとユーモアが好きでかなり面白く読みました。ただ、読書メーターっていう読書の感想を残すサービスがあるんですが、それを見ると否定的な意見も多かったので、みんな気に入るに違いない!とは言えないことがわかりました。当たり前なんだけど、人の感覚はそれぞれ違うということは忘れてしまいがち。

…で、読みながら、家出したときのことを思い出しました笑

私は今までワーホリ期間を除いてずっと実家に暮らしていますが、大学1回生の冬、約3ヶ月間、家に帰らなかった時期があります。家に誰もいない時間にナイキのでかいスポーツバッグみたいなのに服とか全部詰め込んで、チャリで脱出しました。家を出てから戻るまで、連絡は一切しませんでした。その間は部屋に泊めてもらいながら貯金とバイト代でやりくりしていました。バイトも学校も行っていましたが、連絡だけは永遠に無視していました。

3ヶ月経って家に戻ると、玄関でまず母親に抱きしめられました。同じくらいだと思っていた身長は、実は私の方が少し高くて、普通体型だと思っていた体は、意外と細くて肩が骨張っていました。母親に抱き締められるという経験が久しく無かったことに気づいたのを覚えています。

どうして家出したかと言うと、親と私があまりに合わず、居心地が悪かったからです。それが、家出して以降は話を聞いてもらえるようになり、私も声を荒げずに意見を伝えられるようになりました。お互いに分かり合えないことがあっても、説得し合わないようになり、意見交換以上のことをしなくなりました。

最近は親から職場の悩みを相談されたり、意見を求められたりしています。やっと子供としてではなく、一個人として扱ってもらえるようになったなと思います。個人になれないことは扶養されている限りは当たり前なのかもしれないとずっと思っていたので、そこがめちゃくちゃにコンプレックスだったのですが、人としての線引きがあって、ちょっと友達みたいな関係になれて嬉しいです。寺山修司は親と離れて別の愛情を見つけ、その後で親とは友情を築けばいいと言うのですが、家出はまさに親と友情を築く力があると思います。

家を出ることは親にとっても子供にとっても、お互いを個人として認めるきっかけになるのではと思います。親が子を子だと思うように、子は親を親だと思っていると思うからです。人によって家庭の中の事情が違うので、一概にみんなそうだとは言えませんが、私の場合はそうでした。でも、一人暮らしを始めてから家族関係がよくなったとか、そういう話って時々聞きますよね。経験ある人も多いんじゃないかな。

昔働いていたコンビニのオーナーに「帰る家があるから家出できるんやで」と言われたことがあります。その頃はふーんくらいにしか思わなかったのですが、確かにそれはそうで、出たくなる家がなければそもそも家出ということにはならない。家出したいと思えることが既に恵まれていると言いたかったのかもしれません。まあ、家出した当時はそんなこと微塵も考えられないほど必死だったわけですが。

今はそんなこともあったねハハハレベルです。もう7年も前の話になるなんてまじで信じられない…。正直この本を読むまで自分が家出した事実を完全に忘れていました。次に家を出るときは違う別れになるんだろうな。それこそ家を出る家出。帰ってくる予定のない家出。楽しみです。

親になることがない限り、親子関係において子から見た親の目線しか獲得できないんですよねー。親になるってどんな感じなんだろうか。どんなに頑張って想像しても、自分の子供と3ヶ月連絡とれないのって死ぬほど心配なんだろうなって言うことしかできない。その「死ぬほど」は言葉以上に意味を持たない、実感のない「死ぬほど」なんですよね。

そういえば、こないだ信号待ちしてて、「ここの信号長いね。押しボタンじゃないよね?」って話してたんですが、「うわこれ花束じゃん」ってなってしまいました。映画の中で近いシーンがあるんですよね。日常の些細なところで花束〜を思い出すことが多くて妙に腹立つ。笑

社会人っていつから社会人なの

こんにちは。

最近のブームは窓を開けて空気を入れ替えることです。皆様いかがお過ごしでしょうか。

先日4月1日より正社員として働くことになりました。なりました、というか自分で選んで働いているんですけど、要するにいわゆる社会人デビューしました。

卒業してから丸3年、ワーホリに行ったり、フリーターしたりしました。結局その後正社員になったので、この期間はモラトリアム期間とか呼ばれるものになりました。モラトリアムって猶予という意味があるんですが、猶予ってなんやねん。執行猶予だとしたら社会人になるのって懲役刑の始まりなんですか?言い始めたの誰なん?なんなん???憤怒。

私の場合、正社員として働いてみたいな〜、どんな気持ちになるんだろう〜、人にたくさん出会ってみたいな〜、と思って就活を始めました。選べる環境にいたからこその選択であることは自覚していますが。だから別に全然「社会人だ…うわアあああ」という感じではないです。入社の前日に『花束みたいな恋をした』を観て、麦くんみたいになったらと不安にはなったけど。ちなみに、この映画は必見!とまでは言わないけれども、擬似体験のアトラクションとしておすすめです。ただひたすらにえぐる場面が多く、これは物語なんだな〜という感覚にならない。笑

観た直後のインスタのストーリー。
社会人うわああああと言っていますね

社会人と呼ばれるようになったからって、何が変わるんだろうと思っています。変な言い方だけど、今までのバイトも正直かなり真面目にやっていました。勤務せず家にいるときに仕事のことを考えたりもしていました。お給料をもらって、その分の対価として会社に貢献したり、お客さんに対して期待以上を提供したいと思っていたからです。いい店員に巡り会えれば、お店のことも好きになってもらえるし、お店のことを好きになってもらえればその分会社全体の評価が上がるし。もし何かメリットをあげるなら、会社の評価が上がれば自分たちのお給料も上がるかもしれない。お金を支払う側からすればバイトも正社員も変わんないんだから、手抜いていいとか正社員にしか責任がないとは思えなかった。私も自分がサービスを受ける時に誰がバイトで正社員か、そんなことは意識してないし。あと、ある程度一生懸命やると見えるものや学べるものが多いとも思う。いいところも悪いところも。ただ時間を売って、対価として得るものがお金だけなのはもったいない。もっと楽しめるようにするには環境を変えることが全てじゃない、と思う。

じゃあ正社員になって何が変わるんだという。会社の生死をもっと直接的に左右するようになるってことなのかな。それが責任と呼ばれているものなのか。それがバイトとは違うと言われる部分なのか…?わからない。バイトでミスをして、それがバレて、SNSで拡散されたり口コミで広がったりして客が減って、会社のシェアが減って、倒産したりすることだってある。バイトでも責任がある。わからんよ、わしには。

「社会人」という言葉が指す意味がありますが、正直ずっとみんな社会人じゃん、と思います。家庭、日本、地球、何かのコミュニティに属している以上社会人とは言えないのかしら。社会は厳しいとか言うけれど、学校と家庭しかない地球もイメージできない小学生頃の社会が一番厳しいのではとも思います。

働いているとき、コミュニティに属していることで安心感を得られる部分があります。それと同時に、属することで簡単に社会に貢献できるので、自分は認められていると感じられる部分もあります。だから、働いていないと社会に認められてない、不要な存在だと思ったりもしてしまう。名前だけの存在になったとき、バスに乗って周りを見れば運転手さんも仕事してるし、乗客もみんな仕事してるじゃんとか思ってめちゃくちゃに落ち込んだりとか。だけど、別に貢献してないと生きていちゃだめですなんて言われたことないし、役立たなきゃ居場所ないですとも言われたことがない。貢献してないのにごはん食べてごめんなさいじゃない、つくった人にお金を与えていると思えばそれでいい。もっと言えば、生きてるだけで減っていく日本の人口を支えてるんだからな。もし貢献してるしてないで社会人度を測るなら、十分社会人してると思う。自分で選んで生まれてきたわけではないのに、システムに迎合せざるを得ない非道な世界を生きて抜いていてめちゃくちゃにえらい。みな生きてるだけで、社会人。

定職について、えらいとかえらくないとか、社会の役に立つ立たないとか。そういうことは言いたくない。私自身、正社員になってえらいとか言われてもうるせえ黙れと思います。私は好きで正社員になることを選んだだけです。留学に行ってみたかったから行ったとか、そういうのとなんら変わりません。役立たないと要らない論、本当に苦手だな。

新社会人おめでとうとは言いますが。なろうと思って達成したならおめでとう。だから、フリーターになりたくてなった人もおめでとうだし、みんなおめでとうだよ。もっと言えば生まれてこの生をやり過ごしているだけでも十分おめでとうなんだよな。おめでとう、おめでとう!…エヴァの最終回みたいになってきたな。

仕事は好きです。自分で選んで始めたことなので、得られるもの全部得ます。ここでしか考えられないことがたくさんあり、ここでしか感じられない感情があるのだろうということにワクワクしています。私はお客さん最優先!な考え方ですが、もし自分のためにしか働けなくなったとしても、それがまわりまわって会社のためになれば、もうただただめっちゃwin-win!と思います。仕事するのって大体win-win。

正社員生活始まってすぐだからこんな甘っちょろいことを言っているのかもしれない。とにかく、自分で始めたことだから頑張る。自分の決断を正解にして、よかった〜って言うぞ。定職に就くことはゴールでもない。ただ、あれもやってこれもやれる欲張りパックを選択したので、楽しめるだけ楽しんでやります。

あ、モラトリアムの話なんですが、響きは(だらだらしてて虚無っぽい感じが)好きなんだけど、定職に就くことが人生において目指すべき場所とされてるようで嫌でもあるんだよな。それを達成しない限りは、永遠に社会に許可されて猶予を与えられているだけなの?という気持ちになっちゃうよね。人生の目的とは一体…という。

詩、ぜってーやめねえからな。見とけよ……!!!