『東京』をタイトルにできる日も近い

上京した。

上京したという言い方が好きなので、とにかく上京と言っておく。今の部屋のことをとても気に入っている。日光は部屋の中までは届かないけれど、日が暮れるまでは照明なしで暮らせる。まあまあそこそこ見晴らしもいい。遠くに小さな森、林?が見える。小さな森って林なのか…?

自分の部屋のことが既にめちゃくちゃ好きなのだけど、アクセスが絶妙なので、都内なのにちょっと不便で面白い。自転車を買うか、バスの定期券を買うか悩む。散歩の30分は苦じゃないのに、徒歩30分は億劫に感じる謎。

東京に来たらミンミンゼミが鳴いていたことが衝撃的だった。地元では大体クマゼミなので、ワシャワシャいってるのがセミだと思っていた。新居付近のセミは鳴いたと思ったらすぐ黙る。東京のセミは上品なのか。ここは犬の鳴き声もしないし、カエルもスズムシも鳴かない。東京はどこも騒がしいのかと思っていたけれど、私が住んでいるところは大通りから離れているというのもあって車の音もしない。こんなに静かだなんて思っていなかった。

夏だから暑いけど涼しい。吹く風は乾いているし、というか、常に風が吹いていることに驚いた。気温は違わないのかもしれないけれど、滲み出た汗が皮膚を覆うような暑さとは違うと思う。京都が暑いというのは本当だったんだな。

一人暮らしが始まって、初日は特に、自分の物しか家の中に無いことに違和感を覚えた。実家の自室とは違う感覚。帰りが遅くなるという連絡をしなくていいことや、お風呂を催促されないこと、今のところはかなり快適。親との折り合いはここ数年でうまくつけられるようになったけれど、それでも離れ時だったんだろうな。近くにいても仲良くやれるならそれは幸せなことだと思うけど。

生活ができて初めて、そのあとどう生きるかを考えることができる…という話をした。生活を立てていくことが当面(これから先ずっとかもしれない)稼ぐ目的になりそうで、今までお金に執着しないと思っていたのは生活を免除されていたからなのだなと痛感した。お金を稼ぐことにあんまり興味がないという話をすると黙って聞いてくれていた人たち、本当は苦笑いしたい気持ちだっただろうな。笑ったり否定したりせず聞いていただいてありがとうございます…。

引っ越しでほぼ全ての有り金を失ったので、今後の生活のことだけを考えている。それは未来を考えているのと同意なわけで、無意識に生命をつなごうとしている。生活のために生命をつなぐのか、生命をつなぐために生活をするのか、という矛盾しそうでしない話。どう生きるかはその後なんだろうなあ。そうやって歳をとるんだろうか。

社会人のモチベ、結局自分で生活すればモチベとか言ってられないことがわかった。一旦上がった水準を下げることはなかなか難しいし、私はたぶん今以下の生活をすることはもうできない。お金を稼いで生活をするということ、そういうことだったんだなあと思う。まだたぶん経験した方がいいことはたくさんあって、やっぱり自分の選択でできることは経験していきたいと思った。

生命に頓着しないというのも、それ以前に生活ができているからであって、目の前の生活がいっぱいいっぱいだったらたぶんそんなことは考えないんだと思う。生活が回らなければそれはそれで投げやりになるんだろうけれど、生活がギリギリできるくらいだったら生命のことなんか考えないのかもしれないな。

一人暮らしを始める、ということを話したら「新生活だね」と言われたけれど、確かにこれは今までにないほど新しくて、きっとこれが人生第二章なんだと思う。やらざるを得ないとはいえ、とても難しいことをやっているみんなまじスゲーと思う。みんな人生の舵取りをしている。仕方なくやっているとしても、生きているだけで偉すぎる。全員。

今さっきドバトの鳴き声が一瞬聞こえて、なんだか嬉しかった。あんなにうるさいと思っていたドバトの声に喜ぶ日がくるとはな。

オリンピックのこと、よくわからなくなってしまった。開会したら結局お祭りムードになったことも、なんだか取り残された気分になっている。私が見ているインターネットが世論すべてではないことはわかっているけれど、それでも開催前と今じゃ雰囲気が変わっている。本当にやるの?って言っていたこと、まだ数日前の話なんだけどな。なんだかんだ言って楽しかったでしょ、だから結果オーライだよねって誤魔化されそうで怖い。頑張っている人がいることは事実だけど、この皺寄せは誰にいくんだろう。頑張っていたらどんなことだってしていいのか?とかいう極論を投げそうになってしまう。

開会式で、各国の旗手がどうして男女なのか、それもよくわからなかった。多様性とか言うならどうしてそういうことになるんだ?同性同士だったら不平等なのか?もしかしてまだそうなのか…?私が性別を気にしすぎか…?ゲーム音楽が使われていたこと、適当に国民を盛り上げて黙らせようとしているのかなと思ってしまった。これ食わせとば黙るだろってあしらわれているように感じてしまった。あの曲が使われていたことが嬉しい人もいて、それはそれでいいはずなのに、私はどうしていいかわからない。なんだか自分ひとりだけずっと駄々こねてるみたいで悲しくなった。ずっとずっと、もやもやしている。

中止を求める40万人の署名は届かなかった。私の名前も、友人の名前も入っている署名。国民の声なんてもう届かないのか。内閣不信任案もだめだった。どうしたらいいんだろう。

コロナがあって、オリンピックがあって、政治の話題を口にしやすくなったような気がする。以前から友人たちとは政治の話はそれなりにしていたけれど、ブログに書いたり、SNSで発言したりすることはできなかった。でも、考えたり話したりすることはタブーではない。今のところ日本はそれを禁じてはいないわけだから、その間に政治が自分事になってよかった。本当に。自分の立場をはっきりさせることは怖いけれど、自分がどう思うのか考えることは大事だと思う。当たり前のことを言っているけど。

人生、考えること多すぎて難しい。生きるの本当に大変。…って言いながら、また目の届かない場所に押しやっている。「難しいね」と「大変だね」の専用埋立地は、いつ限界になってもおかしくない。

森と林の違いを調べたけど、木が生い茂って盛り上がってるのが森で、木が並び立ってるのが林らしい。こういう辞書を引けば出るような確かなことが世界にもっとあればいいと思う一方で、辞書に載っていないことがもっとあってほしいとも思う。どこまでもわがままだな。

最近の話はすぐに最近じゃなくなる

  • 東京に行っても緊張しなくなった。感情が変わっていくのはいいことだと思う。同じことを違うように感じられるようになるというのは二度三度美味しいのと一緒。高校生が10年も前のことになったのは本当にいつもびっくりしてしまうけれど、10年経ったことは妥当だなとも思う。その間にかなりいろんなことが起こったし、自分も少しずつ変わってきたと思う。生きていればいいことあるよというのは個人差しかないけれど、私の場合はいいことがあった。今が一番いい。生きていていいことは、知識を増やせること、いろんな景色を見られること、感情が変わること、好きなものが増えること。特に好きなものが増えるのは最高。音楽も、本も、映画も、人も。
自分でとった格安ホテル。
部屋番号の数字から謎の汁が出ていてかなり怖かった。
  • ずっと忘れられなかった小説を買った。小1の頃、5つ上の姉に怖いから読んでほしいと読まされた児童向け小説。怖いから読んでというのはよくわからなかったけれど、当時は姉に従順だったのでとりあえず読んだ。内容はあまり覚えていなかったけれど、「怖かった」という印象だけがずっと残っていた。ふと思い出して探してみたら中古で買えたので、約20年ぶりに読んだら今でもやっぱり怖かった。恐怖の感情を復習をしたのは初めて。これはたぶん大事な経験になる。
  • オリンピックに怒っていた。宣言と開催が重なったことが発表されたとき、国民が馬鹿にされていると感じたけれど、家で怒っているのは私だけだった。そういうものかと思った。そういうものなんだ。コロナは私を前よりずっと国民にしたと思う。今まであんまり影響を受けてこなかったのか、鈍感だったのかわからない。ただ、年金どうせもらえないんでしょとかいう以上に、国の決定によって明日の予定が変わるくらい身近になった。選挙に行きたくなくなるのめちゃくちゃわかるし、私も今回のことで行きたくなくなった。とか言いつつ絶対に行くけれど、行きたくなくなるのはわかる。「馬鹿にされている」「無視されている」と感じた時点で、諦めたくもなる。行きたくなくなるのわかるな〜と言ったら家で猛批判くらった。そういうものなんだ。
静止していたとは思えないほど躍動的な蛙。(手ブレ)
  • リモートでしか会ったことない人と会った。初めて対面すると、やっぱり第一声は「はじめまして」になっちゃって、そのあとは自己紹介していた。いつも普通に顔を見てるから、マスクをちょっとずらさないと認識できない感じとか、たぶん今しか味わえない。あとは、歩き方の癖、目の合うタイミング、話しているときの手の動きとか、そういうのを見ながら人の厚みってこういうところにもあるんだよなと思ったりした。話している内容だけが人ではない。
  • 詩の教室に行った。詩人が講師をしている教室で、受講者もレベルが高そうだった。同人にも入ってなければ賞もとってないような身で行くようなところではなかったのかもしれないけれど、講師が話す言葉は全部わかったから、たぶん行ってもいいんだと思う。というか、その身だから学ぶべきなんだよな。詩ってこうあるべきなんじゃないかな、こういうのも詩だとしたら面白いんじゃないかな、と思っていたことすべて肯定してもらえて本当に嬉しかった。詩のこと真剣に考えてていいんだと思った。嫌いとか言いながら詩のこと考えるの大好きじゃん…と思った。嫌よ嫌よも好きのうちとは言うけれど。昔の言葉は本当にすごいな。
10分歩くと足を負傷するビーサン。
痛いのに音が好きで時々履いてしまう。
  • 朝ごはんが食べられなかった。しばらくの間、胸と喉に鉄球が押し込まれているような感覚が続いていて、何も取り入れられない状態だった。朝ごはんは入らないし、音楽も小説も無理だけど、詩なら入ると思った。というか、今は詩しか入らないと思った。鮎川信夫を読んだ。少し体が動くようになって、また別の詩を読んだ。その日はなんとなく昨日よりはましになって、夜ご飯も少し食べた。ちょっとずつ元気になってきて、今はすっかり良くなった。詩に助けられるなんて癪だけど、いつの間にか詩は私にとって、そういうものになっていた。そのあと小さな詩を書いて、また少しだけ救われた。
  • 友人に誘われて琵琶湖に行った。スパイス屋さんでスパイスを買って、はじめてイチからカレーをつくって、平たい石を探して水切りをして、夏のことを褒めまくって、夕暮れ前に銭湯に行った。とても楽しかった。自分が楽しめることも、一緒に楽しんでくれることも嬉しかった。そういえば、陽を浴びながら少し日焼けを気にするようになっていた。少しは大人っぽくなったと思う。
ここぞとばかりに活躍するビーサン。
  • 明日は引っ越し。引っ越し、新しい街、上京という響きは最高。ただ、この数ヶ月で思い出がまた増えて、場所からも人からも離れるのが寂しくて仕方ない。でも、引っ越すことで会えるようになる人もいるし、地元にもまた帰ってくればいいし、自分の居場所が増えるのはとても素敵なことに思える。どこにいても遊ぼうと言ってくれる人の存在がありがたいし、私も積極的に遊ぼうと声をかけたい。すぐ戻ってきたとしてもそれはそれでいいってことにしよう。
写真が地味すぎるので
綺麗なだけの琵琶湖でも見てください。

カレーをつくってみてわかったのは、入れるものを入れて煮込めばそれなりにはなるということ。カレーは日本の鍋料理くらい調理人を許してくれる懐が深い料理だということ。もはや食べるガンジス河。何言ってるのかわからくなってきたので、終わりにします。

おわり。