書き始めは抱負と相場が決まってる

こんにちは。

やっと書く場所をつくりました。noteとかにすればよかったかもしれないけど、なぜかWordPressでブログをつくってしまった。もうけっこう投稿してる風だけど、あいつらはFacebookに挙げてたやつのコピペ。

最近はスタバに加えて百均でもバイトしていて、お客さんのおばあちゃんに、ちらし寿司に使うならどの器がいいか意見を求められたりしています。赤ちゃん連れの人がいっぱい来るので、常に眼福を得られるという意味でいいバイト。

去年はどんな年だったか、実はよく思い出せません。暇すぎるスタバでダルゴナコーヒーをつくったり、あつもりをしながら鬼滅を観て、がらんがらんのユニバに行って、マスクの暖かさで冬の寒さを忘れたりした、そういう年だったと思います。なんだか自分のことよりも世間のことばかり考えていて、世間と自分の境目が曖昧だったような気がします。まあ、みんなと地球にちゃんといたとも言えるのかもしれない。

誰もいないユニバ

あと、初めて就活をやりました。そのうち京都も出たい。そういえば、就活するタイミングで少し化粧を練習したので、眉毛をそれなりに描けるようになりました。今更。

面接終わりの新幹線

詩は停滞気味です!いつか『野菜の名前を並べておいしいね、とつければ詩だ』という詩を書いたことがあるけど、今は何を書いても「こんなの詩じゃねえよ」と自分で傷つけてしまうので何も書けなくなってしまいました。こういうことは何度もあったけれど、今まで落ちた穴の中で一番深いことは確か。ただ、この穴は深いけど、広くて明るい感じがします。ここでも十分生きていけそうだから、抜け出したいことを忘れそうになるというか。ちゃんと出るけど。

今年は、かっこつけたいときにかっこつける。真面目なことを話した後で、「なーんてね!」とか、「笑」とかってふざけて照れ隠しするのを卒業する。やりたいことに素直になって、書きたい言葉に素直になる。詩を見せるとき、私がどう思われるのか気になっちゃうんだよな。いまだに。というか最近特に。そこちゃんと切り離したい。

noteでもよかったじゃん、と思いつつ、大人なプレミアムプランにしたので書きます。どうでもいいこと並べまくって、どうでもよくない場所にしちゃうからな!なーんてね!

コント、スタバ店員。

こんにちは。

少し涼しくなってきましたね。いかがお過ごしでしょうか。

日本に帰ってきてからだいたい半年近くが過ぎました。3月末くらいからフリーターとしてスターバックスで働いています。あの呪文を唱え、シングルトールエキストラホイップエキストラソースキャラメルフラペチィノォ〜とかやってます。スタバの新作を飲みに行ったこともないただの陰キャな私が、キラキラスタバで働いているのってけっこう面白いな〜と思っています。

新しい職場にスターバックスを選んだ理由はいくつかあります。

ひとつは、カナダにいたときにスタバのよさを知ったこと。ひとつは、海外の方の利用も多いので英語を使う機会になるということ。それから、グローバルに展開している企業なので、また海外に行った時に海外のスタバですぐ働ける可能性が高いということ。あとは、フリーターとして働く上での福利厚生の充実度や、ホワイトさ。

日本では挽きたてのコーヒーがコンビニで100円で買えてしまいますが、カナダでは美味しいコーヒーをその値段では買えませんでした。ただ、スタバの値段が日本よりもかなり安く、店内にいれば無料でもう一杯おかわりできてしまったりもしたので、よくスタバに通っていました。日本にいる頃はスタバ自体5回行ったことあるかないかくらいだったのに、カナダでは完全に常連でした。

ピントどこやねん

スタバが好きになったのは、コーヒーが美味いとか居心地がいいということもありますが、好きな店員さんがいたからというのもかなりあります。英語が下手でうまく注文できずに謝った時、「だから勉強してるんじゃん!ネバーマインド!」って言ってくれたCollege駅の店員さん。「学校がんばってね!」と毎日言ってくれたYonge通りの店員さん。みんな優しかったな…。

私の働く店舗は繁華街にあるということもあって、海外のお客さんはやっぱり多いです。お客さんとして来た人が自分もスタバで働いてるんだって話してくれたり(ギリシャ?のスタバ店員だった)、近くに泊まってるけどこのスタバには君がいるからまた来たよとか言ってくれる人もいたりします。ときどきトロントに住む人にも会えたりするから、あの駅の近くに住んでたとか言うとめっちゃ盛り上がります。笑

英語力の維持という意味で、毎日少しずつでも英語を話す機会があるのはとても助けになっています。ただ、それ以上に日本語とその人の国の言葉だったら絶対に話せないけれど、拙くても英語を使えば話すことができる。それが本当に嬉しいし、楽しいです。話すと、ただの「海外の人」「外国人」ではなくて、やっぱりちゃんとひとりの人なんだな〜と思います。当たり前ですが。

それから、今までいろんなバイトをしてきましたが、ここまで自分が会社に受け入れられていると強く感じられる職場はなかなか無かったなと思います。スターバックスで得たことを人生に役立てて成長してほしい、君の活躍に期待している、心から歓迎するよ、など、はじめの頃に何度も言われて、バイトなのに?そんなに?と戸惑った思い出。笑

いい仕事をすればきちんと褒められるし、上下関係に係わりなく意見を言うことができる。どうすればお客さんにとっていいか、どうすれば同僚の成長につながるか、そういうことをみんなが考えてる。あと、何よりも働いている人の仕事に対するプライドが高いです。スターバックスというブランド力のある企業だからっていうのもあるだろうけど、学生でもバイトだからって手を抜いてないのは今まであんまり見たことない光景だったな。

先にも書きましたが、スタバで働けば再び海外に行ったときにも強いというのが理由のひとつでした。ただ、最近は日本で社員として就職しようと考えています。会社に入って働く意味を自分なりに見つけたつもりだからです。で、SPIの勉強を始めたのですが、分数の割り算の解き方を完全に忘れていました…。まじでドン引きした…。

そういえば、私がスタバで働いてるのって体を張ったネタみたいに感じるって話をした人に、「『コント、スタバ店員』をずっとやってる感じですね」って言われました。まさにそう。いや、でも最近はちょっとましになったかな。

詩のほうも、今年はコンテストにいくつか出品して、来月にあとひとつ出そうかなというまあそんなとこです。

あと、今年の夏前くらいから、人生が楽しいと感じるようになりました。何か自分なりにものを考えるようになった小学生の頃から、初めて。少しずつですが、人生を長期的に見られるようにもなってきました。本当に、本当に嬉しい。

自分の中に、少しの諦めと、ちょっとした希望があるのを感じます。絶望感はかなり薄れたのですが、こういうのを大人になったとか言うんでしょうかね。

週5フルタイムで働いてはいますが、賃金のことをあまり考えずにいられるのは、親の助けがあってこそ。感謝しています。

それでは今日もはりきって参りましょう。

「コント、スタバ店員」

カンジュセイテスト

まどみちおの詩集と、谷川俊太郎の詩集を一冊ずつもってきています。

さっきまどみちおの方をぱらぱら見ていたのですが、なんだかお前の心なんてゴミだと言われている気がして閉じました。笑

詩を読むというのは本当に体力を使うことで、何か感じないと殺される気持ちになる。美術館に行くときや、映画を観る時も同じ。何も感じられなかったら、どうしよう。何も感じられなかったら、私の心は失格なんじゃないだろうか。いつもそんなことを考えてしまいます。

わかったような顔をして芸術に触れたくない。わからないものはわからないと言いたい。だけど、本当にわからなかったらどうしよう。別に誰も期待してないのに、自分に対して「感じているフリ」をしているときがあるような気がします。

この間、トロントのオンタリオ美術館に行ってきました。

学校のクラスメイトに、水曜日の18時以降は無料で常設展を見ることができると教えてもらったからです。びっくりするほど広かったので、全部を見ることはできなかったけれど、かなり楽しかったです。腰パンのヤンキーっぽい兄ちゃんグループとか、ランニングついでっぽい人とか、いろんな人がいっぱいいて、みんな好きなように話してたのにはびっくりした。美術館で笑い声が聞こえるってのもなかなかない気がする。笑

それから、オリジナルのモネの絵を見られて超感動した。別にモネの絵が特に好きだとか今まではあんまり思ったことがなかったのですが、あれはまた見たい。

英語のキャプションがついているために、わからない単語もちらほら。疲れてくると読めないし、そうなってくると、もう絵だけを見るしかない。ぼーっと見ててもわからない。こうかなあ、こういうことが言いたいのかなあ、とか思いながら。どういう風に見ればいいのかわからずに、相当苦労しました。タイトルやキャプションという言葉の補完があるからこそ、初めて伝わることがあるなあと思いました。感じ方の方向性を教えてくれる誘導灯のような。意味を考えないといけないものは特に。

そういえば、初めて実験映画を見た1回生のときに、これは見てられない!無理だ!と思った覚えがあります。というのも、何が言いたいのかわからないのに感じることを強要されている気になってしまったからです。強い何か訴えかけてくるようなものがあるような気がするけれども、それがなんなのか全くわからず、ストレスすぎて見るに耐えませんでした。

だけど、4回生になってとった授業で、実験映像は「新しい手法を試すための映像」だから、その写ったもの自体に意味があるわけではないということを学びました。見た目が奇抜なものが多いから、内容に意味があるような気になってしまうだけ。つくられたことに意味があって、発表されたことに意味がある。作者自身に意味があって、その分野の成長のために意味がある。それは映画史の授業だったけれど、ほかの美術史を学ぶ中でも、それが一番衝撃的なことでした。当たり前なんだろうけど。

そういうもののほうが本当は多いかもしれないのに、なぜかそこに内包されていそうな意味を読み取ろうと思ってしまう。見方を間違うとしんどくなる芸術もあるんじゃないか…?

見方をわかりやすく示せばもっと楽に楽しめるようになるのかもしれないなあ、なんて思ったりして。わかるからこそ楽しいものもある。だからわかんないならもっと単純な感想で、綺麗、とか、怖い、とかだけでいいはずなんだよなあ。

次の日、教えてもらったクラスメイトに美術館に行った話をしました。モネの絵がやばかった!本当に綺麗だった!と言ったら、「やばかったよね!わかる!感動した!モネいいよねえ〜」と言っていました。私の英語力がないのもあって、綺麗だったとしか言えないというのもあるけれど、そこで見たモネは本当に綺麗としか言えなかったんだよなあ。あと、英語で好きなものを共有できたの、めちゃくちゃに嬉しかった。大したことは言えてないけど、カナダに来てよかった〜!って思った瞬間でした。笑

試されてるわけでもないんだから、なんかいいよね〜くらいで、まどみちお読みたいなあ。笑

トロントにも桜はある